たしか、ティボール・カルマンもデザイナーは楽観的でなくてはならいと言っていたと思います。(そうでなければやってられないと言ってたかも)
コロナ禍で社会全体が疲弊するなかでも楽観主義でデザインすることの有効性を紹介している記事です。楽観主義は未来へ繋がっているようです。

以下はいくつかの抜粋です。

「デザインとは、未来を思い描く方法であり、楽観主義はその基礎となる部分です。楽観主義でデザインするということは、より良い未来を創造する可能性を信じることです。・・・・実際、アイデアや信念に挑戦することは、あなたができる最も楽観的なことの一つかもしれません。」

「デザインの中で楽観主義を実践することで、何が可能なのかを広く考えることができ、他の人にも可能性を見てもらうことができます。」

「楽観主義でデザインすることは、結果ではなく、プロセスに具現化された微妙な方法で現れることがあります。」

「楽観主義でデザインすることは、既存の規範に挑戦するときに最も説得力があることが多いのです。」

「・・・彼は私たちに、裁かれるのではないか、愚かだと思われるのではないか、無能だと思われるのではないかという恐怖心を手放すことを強制してくれました。彼は喜びと遊びの精神を生み出し、それによって私たちは実験と反復への楽観主義を持つことができました。大学での最もラディカルで独創的な作品は、この授業から生まれました。」

「私たちは、私たちの現実を、より公平で、より公正で、より持続可能で、より協力的なものにしたいと願っているのかどうかを自問しなければなりません。もしこの問いに「はい」と答えが返せるのなら、私たちは楽観的に未来をデザインしなければなりません。」

いい話です。
元記事には、具体的なプラクティスも紹介されてます。

元記事はこちら
Designing a better future is a moral obligation. Here’s how to start >>

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デザイン理論や作品より、学校教育としてのバウハウスを俯瞰できる展示でした。
あの時代に「デザイン」をどのように定義・分類して、教育カリキュラムを構築したのか興味深いです。
合理主義的な考えと表現主義的な考えを両立させたのはスゴいことだと思います。

年代を追うと、基本理念を守りながら時代や状況に対応して柔軟にカリキュラムを変化させていたようです。
基礎過程で審査をパスしないと専門課程に進めなかったようです。これは学生にも教師にも厳しそうですが大切な修練だったと思います。
教師と学生の綿密な関係は19世紀の徒弟制度の影響もあったかもしれませんが、学生のキャリアとかも配慮していたみたいでした。

開校100年 きたれ、バウハウス ―造形教育の基礎― | 東京ステーションギャラリー >>

【関連記事】

バウハウスの歴史を2分にまとめたムービー

バウハウスの教育理念を2019年版にアップデートした『BAUHAUS 2.0』

あのバウハウスのゼミで使われていた教科書がデジタル化されて無料配布中

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ペンタグラムのNatasha Jen と アドビのプリンシパルデザイナーの Khoi Vinh。
激論のようです。興味深い議論です。

Khoi Vinh「・・・実践としてのデザイン・シンキングは、デザインのDNAを持ち合わせていない企業で効果を発揮しました。」

Natasha Jen「デザイン・シンキングには クオリティ、主張、在り方 についてのアイデアがありません。私にとってはこれこそがデザインそのものです。デザインに哲学がなければ、製品、データ、アルゴリズムはただそれだけのことでしかないのです。」

Khoi Vinh「・・・デザイン・シンキングは、リソース、時間、人を最適化し、適切なタイミングで適切なことに取り組めるようにする方法です。」

Natasha Jen「デザイン・シンキングのプロセスでデザインできるというのは幻想です。・・・対話して、リサーチして・・・私たちは何世紀もそうやってデザインを向上させました。」

Khoi Vinh「デザイン思考はとても建設的です。なぜなら、ユーザーニーズを理解する行為から価値を得るからです。その価値は多くの企業が持っていない強力な価値で、多くの企業がプロセスに取り入れていない価値です。」

本編は紙の雑誌でリリースされるようですが、読んでみたいです。

Natasha Jen はデザイン・シンキングについてこんな講演もしています。

【関連記事】
デザイン・シンキングはなぜ『たわごと』なのか

元記事はこちら
Two top designers debate the value of “design thinking” | Co.Design | Fast Company >>

2019年10月30日 デザイン理論

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豪華な講師によるデザイン・エグゼクティブのための2週間のカリキュラムのようです。まぁ、そういうのはいいとして。
100年ほど前にバウハウスが提唱した教育理念を、21世紀のデザイン・ビジネス理念としてアップデートしてみせています。

かつてのバウハウスの教育理念が「建築」を中心にしていたところを、「人間」を中心にして、
「より良いプロダクトをつくる」
「より良いチームをつくる」
「より良い企業をつくる」
「より良い世界をつくる」
としています。いいステートメントです。
100年前に必要とされいた理念と、現在に必要とされる理念の違いがおもしろいです。
バウハウスから100年後の未来のデザインです。

バウハウス─デザイン概念の誕生 >>

Is it time for Bauhaus round two? Future London Academy thinks so | It’s Nice That >>

FUTURE LONDON ACADEMY >>

英国の芸術大学 ロイヤルカレッジ オブ アート は、今後はテクノロジーのカリキュラムを拡大するそうです。
RCAにはいまも充実したエンジニアリングのカリキュラムがあるそうですが、さらに深く総合的な教育体系を構築する方針のようです。そこに英国政府が7100万ドルの資金を提供することになりました。

複雑になったこの世界で、こらからのデザイナーが取り組むべき課題のためには、テクノロジーやサイエンスの訓練を受けなければならないそうです。MITなどの工科大学がデザインのカリキュラムを取り入れるのではなく、伝統的な美術・芸術のRCAがテクノロジーのカリキュラムに取り入れるということが大きな変化だというわけです。

具体的には、都市計画とかデジタルストーリーテリングなどのカリキュラムが計画されてるようです。
そういうカリキュラムの美術大学ならぜひ勉強し直したい。

日本の美術大学もそういうカリキュラムになってるのかな?

元記事はこちら
The design school of the future is nothing like the one you went to >>

深く広い洞察で、創造的で、説得力があります。
表層的なデザインの流行予想ではなく、社会の変化のなかで必要になるデザイン思想を予見してくれています。

■個人の精神衛生のためのデザイン
■永続性とエコシステムのためのデザイン
■信頼と透明性のためのデザイン
■移動と輸送のためのデザイン
■セグメンテーションからマインドセットへ
■デジタルと現実をつなぐデザイン
■合成された現実のためのデザイン
などをテーマにして、これらのテーマについて「何が起きているのか」「次はどうなるのか」「なにをするべきか」で紹介してくれています。
ビジネス本などでも取り上げられるテーマですが、結論が批判ではなく、もっと良い世の中にするための創造的な解決方法を考察してます。

いくつか気になったところ。

2019年の成功は、個人だけでなく世界にも関連する価値の提供にあります。 価値創造は、単純に大きくなるのではなく、より良くなることによって生まれます。

精神衛生のために自分自身とデジタル技術の間に壁を置くように、企業は騒がしい世界で静けさを渇望するユーザーに価値を提供する方法を学ばなければなりません。

かつては斬新さ、興奮、瞬間的な満足感を称えていましたが、今の私たちは注目されるために叫ぶような企業を拒否します。

人間の価値を革新の中心に戻す新しいデザイン精神を採用しなければなりません。
デザイナーは、人々が必要としないものを作ったり、イノベーションの最前線に人間の価値を戻したりすることによって、より倫理的なアプローチをとる責任があります。

個人の状況に対する配慮と尊重は、組織の未来が依存する長期的、付加価値的、有意義な関係構築の柱になるでしょう。

組織が自社の製品やサービスに必要なデータだけを活用するように努力するにつれて、「データ最大化」から「データ最小化」への移行が予想されます。最小限の実行可能データが製品設計の新しいトレンドになります。

今、私たちはライフスタイルや考え方をより重視する「ポスト・デモグラ消費」の世界にいます。
そしてブランドはブランドの魅力を維持するためにブランド自体を再発明する必要に迫られています。

デジタルと現実の体験をシームレスに相互接続する方法を見つけなければなりません。

合成現実の世界では、真正性(消費者が高く評価するもの)がこれまで以上に重要になるでしょう。
本物になる方法を理解して、ブランドの信憑性を効果的に伝える必要があります。

合成現実が真実を曲げていると非難してはいけません。
すぐに人々は日常生活の中で合成の現実を受け入れるでしょう。

Fjord(フィヨルド)はアクセンチュア・インタラクティブのデジタルデザインの子会社。
いずれ『Fjord Trends 2019』の日本語版が出ると思われます。

Fjord Trends 2019 >>

PDFはこちら >>

2018年12月25日 デザイン理論

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おもしろかったです。
インスタグラムにアップされている画像を写真論/メディア論として分析・考察してます。
知識と主観から始めるのではなく、膨大なデータからの定量的な分析からの論考。
インスタグラムユーザーの心理、ルック(意匠)、スタイル、美学、一貫性 などなど、わかりやすくて共感できる印象でした。

2012年にはFacebookに破格の高値で買収されたインスタグラムですが、つい最近、インスタグラム創業者の二人がそろってfacebookを辞職すると発表しました。いま起きていることはもう次のステージに向かいつつあるかも。

とくに広告のビジュアルデザインをしている人には参考になりそう。
SNS時代のコマーショルなビジュアル表現は旧来のメディア上にあるビジュアル表現と何が同じで何が違ってるのか、というのを考えるヒントになる気がしました。

インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって|Amazon >>

2018年10月22日 デザイン理論

詩的な内容の色彩研究のようですが、色彩の前進/後退など現在の美術教育の色彩理論の先駆けとなった研究と言えそうです。
よく似ているように見えますが、ヨゼフ・アルバースよりも時代的には前になります。

当時は女性の社会的立場が弱い時代だったため重要視されなかったのか、あるいは、時代に先行しすぎたのか・・・。長い間忘れ去られていたそうです。

再出版に向けてKICKSTARTERで出資を募って、すでに充分な資金が集まったようです。
Color Problems – A Book by Emily Noyes Vanderpoel | KICKSTARTER >>

Color Problems: A Republished Tome Reveals the Color Wisdom and Poetics of 19th-Century Artist Emily Noyes Vanderpoel >>

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毎年新しいビジョンを見せてくれますが、今年は組織や文化のテーマが強調されてる感じ。

◆コンピューテーショナル・デザイナー の役割
◆企業内カルチャーにおけるデザイナーの立場と権限の獲得
◆会話型のUIデザイン
◆AIがもたらす不平等に対抗するためのインクルーシブ・デザイン
といったトピックスが興味深いです。

コンピューテーショナル・デザインとは・・・
UXデザインとかでAmazonやFacebookがやってることのような感じでしたが、少し違うかも。
イスやテーブルのように一人のユーザーのための成果物を作るのではなく、夥しい数のユーザーの体験をデザインすることのようで、データサイエンスとデザインが緊密に連携していくようなイメージ。(英語なので誤解もあるかも・・・)

プレゼンテーションのなかで『将来のための最も貴重な10のデザインスキル』として、下記が紹介されています。
1. 技術革新と社会変化に対する適応性
2. 共感
3. コミュニケーションスキル
4. 良い質問をする
5. クロスファンクショナルスキル
6. ストーリーテリング
7. 異文化スキル
8. 観測と聞き取り
9. 心理学と人間の行動
10. 複雑さの管理
これらはデザインスキルというよも、組織のなかで働くデザイナーに望まれる特性といった感じもします。
統計、数学、プログラミング、データビジュアライゼーション などのスキルがあると楽しくなりそう。

個人的には、いろいろと考えてみたことがそれほど間違ってなかったと思わせてくれる内容でした。
そう思わせるようにデザインされているプレゼンテーションかもしれませんが、少し希望が持てました。

動画のなかで出てくる「Crit」は「Critical(批評)」の意味のようです。この人によく似合います。
リアルなデザイナーには「Crit(批評)」と「Evidence(証明)」が必要だと話してるようです。

話している Natasha Jen さんはPentagramNYオフィスのパートナーで、輝かしい受賞歴を持つ著名グラフィックデザイナーです。

たしかにデザイン・シンキングのプロセスでは正しい批評・評論のプロセスが抜け落ちることで、デザインの過程と意思決定が低レベルのお絵描きワークショップになってしまう危険があると感じます。

もしそうなっても、デザイン・シンキングに満足を感じる「non-designer」が来てくれたら講師やスクールが儲かるので問題ないことになってるのも問題だと話しているようです。
そのためのマーケティングがしやすように「デザイン・シンキング」がバズワードなってるとも話してるようです。

むかしヒューマンセンタード・デザインとかでも似たような話を聞いたことあります。

日本のデザイン教育全般でみても、似たような問題がある気がします。

元記事はこちら
Why Design Thinking is bullshit >>