『Design as Democratic Inquiry : 民主的探求としてのデザイン』 デザインは私たちが考えるような万能の道具ではない

民主的探求としてのデザイン

デザイナーとクライアントの間の食い違いや、デザインの先生と生徒の関係についても、おもしろい示唆を含んだいる気がしました。
「民主的なデザインをする」または「民主的なプロセスでデザインする」ということではなく、「民主主義のためにデザインを使う」という考え方のようです。この本も日本語で読みたいです。

デザイナーであり教育者でもあるカール・ディサルヴォの新著『Design as Democratic Enquiry』では、民主主義社会においてデザインが果たすべき役割について書かれているそうです。

ディサルヴォが過去15年間勤務してきたジョージア工科大学周辺の地域コミュニティで行われた一連の実験からデザイナーが言うところの「植民地的」なものから脱却を促進することを目指してるそうです。

この実験のデザインプロセスは、他の多くのデザインプロジェクトとは明らかに異なっていて、
「一つの固定された最終的な製品に向かって作業するという前提がなかった。」
「それと同じように、民主主義は、具体的な終着点のない、厄介な概念なのです」
とのことです。

ディサルヴォは、問題解決は多くのデザイナーの根底にある欲求であると認めています。しかし、最終的な結論が決まっていると思い込んでいると「デザインは英雄的な行為とみなされる」のだそうです。
(とてもわかる気がします。これはデザイナーの自意識についての問題にも思えます。)

「この地域やその他多くのコミュニティにおける資金不足の問題は、何十年にもわたる体系的な人種差別に起因するものであり、アプリで解決できるものではありません。」
「しかし、すべての状況をデザインで解決できないからといって、デザインが助けにならないわけではありません。」

ディサルヴォ「普遍的な方法としてのデザイン」という考えはくだらないと言ってるそうです。
「人々は普遍的なデザイン手法という考え方を好みますが、それはどこに行っても権威を主張することができるからです」
と言っています。。

「デザインは、市場との関係、販売できる製品・サービス、成果をいかに生み出すことができるかということで、自らを定義しています。」

「デザインを民主主義と一緒に使うことは、必ずしもすべてが解決するような気持ちの良い瞬間を生み出すわけではありません。」

「失望があることを認識し、時には成功は単に耐えることであるというアプローチでデザインする方法を、人々に問い始めてもらいたいのです。」

この著書の目的は、デザインジャスティスをめぐる会話に貢献することだそうです。
「そうすれば、民主主義の中で何が本当に可能なのかを探ることができると思うのです。」

Design as Democratic Inquiry: “Design isn’t the universal tool we think it is” >>

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