アートにおけるコードという素材と媒体について、視界を広げてくれるようなインタビュー記事です。
ウィリアム・マパンさんはソフトウェア開発者としての経歴を持つフランスのアーティストで、コーディングと絵画の関係や制作プロセスについて答えています。
「2016年頃、パリの展覧会で初めて「ジェネレーティブアート」という概念に出会ったんです。「ああ、ここに何かが確かに起こっている」と気づきました。」
「コロナ禍を境に、アート活動を優先させることを考え始めました。隔離生活の中で多くの人がそうだったように、孤立すると内省が始まり、自問自答し、時間の使い方を考えるようになるのです。そしてNFTの波が到来しました。世界が突然デジタルアートに関心を示し、既に続けていた活動に収益化の道が開けたのは、絶妙なタイミングでした。」
「プログラミング言語自体は重要ではありませんが、通常はJavaScriptを使います。そうすればウェブ上で作品を共有できるからです。」
「コーディングと絵画の両方で7~8年の実践を経て、ようやく望む成果を挙げられる段階に到達したと感じています。」
「AIを多用すればするほど、アルゴリズムへの制御を失います。コードが芸術的媒体である場合、この制御は極めて重要です。コーディングは物事を異なる視点で捉える力を与えてくれます。AIへの依存が強まりすぎれば、その力を失うのではないかと懸念しています。」
石、木、顔料、壁、布、など、遠い昔から身近に手に入るものがアートの素材と媒体になってきたのですから、javascriptがアートの素材になるのは自然なことかも。
William Mapan on blurring code, paint, and generative art >>
バブル、低迷、テロ、インターネット・・・といった時代の流れの中の「日本の」現代美術を振り返る展示でした。
懐かしい作品に会えました。見逃して忘れていた作品もあって楽しかったです。
昭和を通して描かれてきた大きくて普遍的な物語から、個人的な小さな物語に移行していったことがわかる展示でした。
そのテーマも2010年以降のSNSの台頭で霧散していったような気がしました。
遊び心がある作品の楽しい展示でしたが「数十年後に意味ある文脈に位置づけられるのか?」という気もしました。
そういう行く末のなさも「日本の現代美術」なのかも。
研究によれば、AIの使用は私たちの集合的な創造的個性を均質化するそうです。
それがどのように起こるのかを、漫画で説明してくれてます。
漫画の内容は既視感もあり少し極端かもしれませんが、記事内のテキストで紹介されている調査結果を読むと納得させられるものがあります。
以下はテキスト部分の抜粋です。
2024年、36名のChatGPTユーザーを対象としたオンライン実験では、AIの使用が個人ユーザーの創造的アイデア数を増やす一方で、グループレベルでは「ユーザーが意味的に区別されにくいアイデアを生み出す傾向」が確認された。
別の研究でも同様の結果が得られた。今回は短編小説作家グループを対象としたもので、各作家はAIを活用することで個別に「より創造的な」物語を執筆できたものの、全体として新規コンテンツの範囲は狭まった。
AIのツールが十分に制御可能であり、デザイナーが探求する十分な時間さえあれば、AIは創造的表現の能力を阻害するのではなく、高めるはずだ。問題は、AIとの関わりが集団の豊かさを均質化することなく、個人の創造的潜在能力を確実に拡大させるにはどうすべきか、ということになる。
AIとの協働関係を改善するには、まず「画一化」がどのように生じるかを理解する必要があります。
このテキストと、このあとに続く漫画を見ると、均質化をもたらしているのはAIではない気がしてきます。
お金のないクライアント、時間のないデザイナー、プレッシャー、これらが均質化をもたらしいているようです。
90年代にグラフィックデザインがデジタル化して以降、均質化が進んだ理由もよくわかった気がします。
この均質化は個人レベルではなく、デザイン業界全体レベルで起きていることであり、その影響から抜け出すのは難しそうです。
元記事は「Light and Shade」というAIと創造性についてのシリーズ記事のひとつです。
他の記事もおもしろそうです。
The great sameness: a comic on how AI makes us more alike >>
いままでなかったことを知りませんでした。
iPhoneユーザーよりもiPadユーザーの方が行儀が良くて、良いコンテンツを提供してくれそうな気がします。
そういう健全なエコシステムが、より多くの収益をもたらすようになるって、TikTokとの違いになるのかも。
Instagramデザイン責任者のブレット・ウェスターベルトのインタビュー記事の抜粋です。
「iPhoneが技術の収束点だった。iPhoneは事実上のプラットフォームとなり、その上で、そしてその周りでデザインが行われるようになった。しかしここ数年、再び分岐点に差し掛かっている感覚を強く抱くようになりました。Instagramの将来像とインターフェースの重要性を検討する中で、柔軟に対応し、こうした新たなフォームファクターへ拡張する必要性を強く確信したのです…コミュニティが存在する場所に存在するためです。」
「iPadで初めてInstagramを開くと、ストーリーがバブル状に上部表示され、中央にメディアフィードが並ぶ、従来のInstagramの見た目は変わらない。最初に気づく大きな変化は、画面左側にナビゲーションバーが配置されたことだ。二つ目の大きな変化には一瞬戸惑うかもしれない:中央のフィードがメインフィードではなくなった。代わりに表示されるのはリールだ。Instagramは大きな画面の動画でユーザーを迎える(縦向きモードでは、画面いっぱいに広がるリールが映画のようなスケール感をもたらす)。」
それほど熱心なインスタユーザーではないのですが、利用しない理由の多くはUIの使いにくさです。
ユーザーがやろうとしいることと、操作、結果、の間に要素や条件が多すぎる気がしてます。
デザインを決定する過程で、ユーザーよりもコミュニティを重視しているのかも。
あと、PCだと使える機能が限定されるのも、好きになれない理由でした。
Instagram finally launches native iPad app after 15 years, with a design to take on TikTok >>
見逃したと思ったら、追加上映がありました。
「ジェネラティヴ」な上映手法は蛇足な気がしましたが、創造性についての素晴らしい映画でした。
「偶然」「文脈」「プロセス」などの要素を作品に取り込むのは多くのアートで昔からあったコンセプトだと思いますが、それは今も刺激的です。
デジタル化されてプログラミング一般化して、それはずっと身近なものになったはずです。
「知り得ないこと」「予測できないこと」「変化すること」は知性と創造性の源泉なのだと信じる気になりました。
監督のギャリー・ハストウィットは映画『Helvetica(ヘルベチカ)』の監督でもあり、そのほかの作品もデザイン好きな人はお馴染みかもしれません。
映画『ENO』オフィシャルサイト >>
https://enofilm.jp/
6000人以上の世界の富裕層と超富裕層に調査したレポートです。
調査結果としては矛盾して見える点もいくつかありますが、それは自分が富裕層ではないから理解できないだけなのかも。
お金持ちの人の購買行動に関わるデザインをするには、共通認識として理解しておくかないといけないことがいくつもある気がしました。とくにZ世代(1995~2004年生まれ)のラグジュアリー消費については興味深いです。
以下は抜粋です。
Gen Zがすでに世界の富の11%を占めており、ベビーブーマーと同等の購買力を持っています。今後数年で最も大きな成長ポテンシャルを秘める世代です。
裕福な人々にとって、ラグジュアリーは単なる贅沢品ではなく 不安定な時代における「安全な避難所」 としての役割を果たしています。支出の増加傾向は明確であり、とりわけ新興市場(特にインド)が成長の最前線にあることが示されています。
現在の体験基準は主に上の世代向けに設計されており、若年層の期待に応えるための刷新が必要です。
Gen Zは購買判断に影響する要因について全体的にスコアが低め
Gen Zにはまだ十分に捉えきれていない新しい動機が存在する可能性がある。
裕層は「不可能なほど満足させにくい」わけではない。
しかし世代・地域・カテゴリーによって期待値が大きく異なり、特に若年層と日本市場ではギャップが顕著。
富裕層向けのUXデザインについて考える良いヒントになりそうです。
戦後80年にふさわしい、意義深い展示だと思います。
戦時において美術・絵画・写真・エディトリアル・広告などがどのような役割を演じることになるのか。広告、宣伝、そのほかデザインに関わる人は「これからの自分のこと」ととして見ておくべきかも。
単体の作品や作家個人に限定されたストーリーテリングではなく、戦前から昭和の終わりごろまでの期間の東アジア全体をカバーして、記録として展示しようとしているようです。
少し残念だったのは「戦後」の美術がどのように形成されたのかについてのストーリーでした。
著名作家の罪悪感の吐露ではなく、終戦で国内のプロパガンダのシステムはどのように解体され、戦後の美術・絵画・写真・エディトリアル・広告などがどのように再建されたのか。その中で作家やデザイナーの仕事はどのように続いてきたのか・・・また別の企画で取り組んで欲しいです。
英国らしいジョークで、ある意味でパンクで「NO FUTURE」です。
賃金、住宅、食糧、インフラ、雇用、が崩壊している英国社会で、「すべてうまくいってる!」と明るく歌うミュージカルになってます。
CMを手掛けたMotherのトム・ベンダーさんのコメントです。
「人々の生活における真の問題は、特定の何かではなく、物事が機能するか機能しないかに対する私たちの集団的な諦め——現状を受け入れる慣性にあります。」
「『Everything Is Fine』の狙いは、決め付けるのではなく、別の選択肢があるかもしれないと提案することです。」
暗号資産が社会を良くするようなメッセージは誤解を招きそうなので、そこは避けて、でも自分が属する社会の崩壊と自分の将来について多くの人が共感できるテーマを力強いメッセージにする・・・という上手い演出になってる気がします。
ミュージカル仕立ての演出にすると、だいたいうまくいくような気がします。
結果がどうなるのか、おもしろい実験になりそうです。
「生産性が倍増する」という目標はなぜか昭和的な感じもしますが、AIに何を期待するのかという点で現実的な取り組みのような気がします。
個人の能力の拡大よりも、組織運営の無駄の削減にAIを使うのは、規模が大きい日本企業に向いてるかも。
以下は記事からの引用です。
「会議の要約や文書作成、経費管理、研究など、チームを遅らせるような反復的な作業を、これらのツールが担うことが期待されています。」
「AIは人間の努力の代替ではなく、支援ツールとして活用する意図です。」
「従業員は、手動でタスクに取り組む前にAIツールを活用するよう奨励されており、自動化をワークフローの不可欠な要素として位置付ける「AI優先」のアプローチが促進されています。」
「AIは必ずしも効率向上を保証するわけではありません。ある事例では、AIツールを使用する開発者が、自分たちはより速く働いていると信じていたにもかかわらず、タスクを完了する速度が遅かったことが示されています。」
うまくいくといいですね。
NFTアートのバブルが終わって、ここ数年のデジタルアートはおもしろくなってきたと思います。
そこにはキュレーションによる功績も大きいです。
多様なデジタルアートとアーティストをキュレーションするスタジオについてのForbsの記事です。
数十年に一度の大きな変化を目の当たりにしているような感じがしています。
以下は抜粋です
「絶え間なくイメージが生み出され、複製される時代において、文化的関連性はどのように生まれるのでしょうか?現在発展しつつある傾向を精査し、時代をはるかに先取りするアーティストにスポットライトを当て、過去の前衛的な探求と並べて文脈化しようとする者は誰でしょうか?新奇なものから革新性を選別しようとする者は誰でしょうか? キュレーターのスタジオに入ります。」
「キュレーター・スタジオには、大規模な機関にはなかなか真似できない、ある種の機敏さとアーティストとの親密さがあります。私たちはアーティストの活動が進化していく中で共に歩み、作品が形作られる段階からキュレーションの枠組みを提供することができます。私たちは実験的な要素が歓迎される空間を創り出すと同時に、トレンドの平坦化効果に抵抗し、若いアーティストが単に一時的に『浮上』するのではなく、彼らが積極的に形成しているより大きな対話の中に根ざしていくよう努めています。」
「制度的な文脈の中で、その即時性と開放性を守ることがいかに重要か。人々は単に受容的であるだけでなく、それを渇望しています。私はこのモデルをさらに発展させていくことに興奮しています。ノマド的な形式、持続的な集会、あるいは多層的なコミッションなど、どのような形式であっても、リスク、創発、そして関係性を重視したキュレーション体験を創造し続けたいと思っています。」
NFTはデジタルアートの在り方を変えたと思います。
バブルが弾けたあとも、変化したデジタルアートは、ホワイトキューブの外に広がり、展示という枠組みからも離れていくのかも。
The Role Of Curatorial Studios In The Digital Art Ecosystem >>
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