以下は抜粋ですが、ブランディングとデザインの専門家の意見だそうです。
Facebookは嫌いだけど、新しいアイデンティティは嫌いになれない・・・という感じのようです。
「すべてのリブランドに言えることですが、新しいアイデンティティは、ビジョンと価値観の進化を表すものでなければなりません。彼らのビジョンは明確ですが、素晴らしい名前と実に魅力的なロゴ以外にも、もっと見るべきものがあればと思います。」
「漠然としていて広大なアンブレラネームで、彼らが参入しようとしている分野を網羅しています。その点ではスマートな戦略だと思います。持ち株会社がFacebookという名前を持つことは、限定的すぎて十分な効果が得られませんでしたし、Facebookという名前にはすべてのお荷物がついています。」
「長期的には何の意味もありません。とはいえ、このロゴはとてもクールです。メタバースのイメージを表現しています。」
「道徳的には、FacebookはやはりFacebookです。」
「名前として、そして戦略的なアイデンティティとして、それはシンプルで素晴らしい解決策です。GoogleがAlphaとBetaを合わせてAlphabetという社名を選んだように、MetaはFacebookが未来に向けて定義した野心的な計画にぴったりです。」
「Facebookは企業イメージの問題を抱えています。心の底では、これはリポジショニングの努力だと思っています。若いオーディエンスとの関係を取り戻す必要があるのです。」
Metaのロゴタイプは良いと思えないけど、シンボルマークは良いと思います。
Facebookのイメージカラーを引き継ぎながら、「無限」のイメージと「M」の字形を連想させる形態は適切だと思います。
また、別のtwitterで、下記の投稿を見かけました
「これに文句を言うのが流行ってますが…、私はスティーブンソンやギブソンなどを読んで育ちました。そしてメタバースのアイデアは何十年も私の心に残っています。この計画が合法的な行動を考えられない人の手に渡ってほしくないと思っています。・・・・申し訳ありませんが、 私が知りたいのは、最も影響力のあるインフルエンサーの意見ではなく、その話題で最も賢い人の意見です。」
メタバースのアイデアが正しく運用されてほしいと思います。
元記事はこちら
You might hate Facebook’s new name, but branding experts (mostly) love it. Here’s why >>
長い年月の膨大な仕事の積層は圧巻です。
イラストレーター/グラフィックデザイナーとして、それまで考えられていた仕事の範囲を大きく広げた人だと思ってます。大きく広げても、みんなが知ってるあのタッチで愛され続けたことは素晴らしいです。
作品ではなく注文される仕事として作り続けたのだろうという感じ。こういう仕事がしたかったと、憧れる仕事でした。
UXをデザインするときに起こりがちな「もどかしい現実」についての記事です。
UXデザインの真正性や信憑性に影響する事柄ですが、長い間受け入れられてきたそうです。
具体的には・・・
使われることのないリサーチ。
期待に沿わないという理由で棚上げされた調査結果。
安くて早いという理由でスタッフがユーザーのふりをして行うワークショップ。
デザインを改善するには遅すぎるタイミングでの検証。
・・・などのこと。
こういうことを「UX劇場(UXシアター)」と呼ぶそうです。
ユーザーをプロセスに参加させずに、あるいは単にショーのためだけにユーザーを参加させて、何らかのデザイン方法論を決めていくこと。
日本だと「茶番劇UX」「御手盛UX」「忖度UX」といったところでしょうか。
ユーザーもデザイナーもいないUXデザインのことのようです。
どうしてそういうことになるのか。
以下はいくつか抜粋です。厳しい指摘です。
「ユーザー中心設計を謳う多くのプロジェクトの表面を見てみると、実際にユーザー中心設計を行っているプロジェクトよりも、ユーザー中心設計のブランディングを行っているプロジェクトの方が多いように思えます。」
「誰もがユーザーの役割を演じているだけで、要件は架空のものなのです。その結果、ユーザーは使いにくくなり、時間やお金、プライバシーや安全性を犠牲にすることになるのです。」
「「UXデザインとは何か?」一般的には、ユーザーエクスペリエンスデザインとは、対象となるユーザーが製品やサービスを利用する際のインタラクションを定義するプロセスであるという点で一致しています。しかし、UXデザインの範囲をさらに定義しようとすると、プロダクトデザイン、デジタルデザイン、インタラクションデザイン、サービスデザインなど、さまざまな議論に発展します。」
「デザイン思考は、経営者が新しいサービスや製品の革新に向けて、より慎重なアプローチをとるためのコンサルティングツールとして開発されました。このモデルには5つのステップがあります。「共感する」「定義する」「アイデアを出す」「プロトタイプを作る」「テストする」。一見、堅実なアプローチのように見えますが、デザイン思考はユーザー中心設計の代用として採用されることが多く、ユーザー不在のまま社内で活動が進められ、結果的にUX劇場になってしまうのです。」
「UX劇場につながる2つ目の問題は、デザインが誰にでもできるものとして喧伝されていることです。・・・組織が「誰もがデザイナーである」という認識を持つと、ユーザーエクスペリエンスデザインは、熟練した実務家が主導するプラクティスとしては認識されず、誰もが実行できる思考プロセスとして認識されるようになります。」
「デザインを理解しないまま、デザインへの投資を最小限に抑えている組織では、デザインの成果や結果が乏しくなりがちです。最終的なデザインがユーザーのニーズを満たさず、クレーム、返品、悪い評価、さらには利益の低下を生み出します。その結果で、ユーザーエクスペリエンスデザインをさらに低く評価することになるかもしれません。」
「批判ではなく批評の視点からUX劇場にアプローチすれば組織の改善につながります。・・・テストやリサーチがどのように役立っているかを示すことができます。結果を広く共有し、デザインに関わる意思決定に意見ではなくデータを用いることを強化することができます。」
元記事はカナダ政府のユーザーエクスペリエンスデザイナーTanya Snookさんによるものです。
正直で力強い記事だと思います。ただし、UXデザインの信憑性や真正性を担保するためにすべきことが「ユーザーの参加」と「組織のリーダーの協力」だとしたら、UX劇場を終わらせるのは難しいような気もしました。
記事にあるように、会計や法律やまたは建築のように検証可能な明確なプロセスが必要な気がしました。
ユーザー調査のデータではなく、UXデザインのプロセス自体が信憑性や真正性を担保するようになるといいのかも。
元記事はこちら
UX design has a dirty secret >>
日本とオーストラリアのそれぞれで、自分たちが置かれた状況の嘆きや違和感が感じられる展示でした。
畠山直哉の陸前高田のシリーズは切実で力強かったです。
記録やメッセージとしての写真作品の展示を久しぶりに見た気がしました。
併催されてる「写真新世紀展 2021」を一緒に見ると、写真の役割のようなものが、より感じられておもしろかったです。
本当に役に立つAIを作るために、ネット上の画像から学ばせるのではなく、生活する人間の視線(文字通り一人称視点の動画素材)から学習させるプロジェクトだそうです。
Facebook AI Research が世界の13の大学と協力して史上最大の一人称映像のデータセットを作成してます。
「機械は、人間の目を通して世界を本当に理解してこそ、私たちの日常生活を助けることができるのです」
「このデータセットの映像は、人間が世界を観察する方法にかなり近いものです」
収集された一人称映像データセットは、9カ国(米国、英国、インド、日本、イタリア、シンガポール、サウジアラビア、コロンビア、ルワンダ)の73の異なる場所で855人が記録した3025時間のビデオから構成されています。
映像が収集されたあと、ルワンダのクラウドワーカーは、何千ものビデオクリップを合計25万時間かけて見て、撮影されたシーンや活動を説明する何百万ものテキストを書き込みました。これらは、見ているものをAIに理解させるために利用されます。
おもしろいことになりそうなプロジェクトですが、ここで問題視されているのは、Facebookがユーザーのプライバシーへの配慮を欠いていて、広告主へデータを売ってしまってきたことのようです。Facebookはこのプロジェクトについて、幅広い科学コミュニティの発展を促進するための純粋な研究であり、製品への応用や商業利用については、現在のところ何も計画がないとコメントしてるそうです。
Facebook wants machines to see the world through our eyes >>
広告業界のレジェンドであり、ナイキの「Just Do It」を手掛けたアートディレクターでもあります。
82歳だったそうです。
1982年にオレゴン州ポートランドにダン・ワイデンと共同で設立したエージェンシーは、現在はニューヨーク、アムステルダム、ロンドン、東京、デリー、サンパウロ、上海にオフィスを持つ世界最大の独立系エージェンシーです。
If you know Nike’s Just Do It, you should know ad legend David Kennedy >>
私たちは皆、歪められたサクセスストーリーに酔っている・・・という指摘から始まって、その仕組みを説明して、そこから脱却するために洞察力が必要なことを紹介してる記事です。
若いときには、憧れの有名デザイナーの仕事についての記事を読んで自分も同じようになれると考えがちですが、それがどう間違っているのかわかります。
これは、マーケティング、ブランディング、ストーリーテリングなどについてのことでもあります。
目を覚まさせてくれる記事です。
元記事はとても長い文章です。下記は一部の抜粋です。
「自分の功績を一つの要因に還元することで、成功談を語る人は必ずと言っていいほど、出来事や結果を独占的にコントロールしていたと主張し(あるいは信じ)、自分の力を大幅に誇張します。しかし、どんな人も、どんな組織も、どんなビジネスも、自分が置かれている環境や文脈から切り離されて機能することはありません。成功の物語はすべて、複雑な要因の相互作用の物語です。その複雑さをひとつの変数やシンプルな格言に還元することは、ストーリー性のあるものになるかもしれませんが、たいていは無意味な練習になります。」
「・・・なぜなら、あなたは70年代のサンフランシスコのスティーブ・ジョブズではないからです。”Love what you do” ”Don’t settle” ”Stay Hungry. Stay Foolish ”という言葉は、私たちに暖かい気持ちを与えてくれるかもしれませんが、過去の個人的な成功についての膨大な不完全さは、他のすべての人にとっての将来の成功への最良かつ最も信頼できるガイドにはなりません。
実際のところ、成功者は自分自身の業績の信頼できない証人であるということです。そして、再現性のない過去からパターンを推定し、それを将来の成功のための普遍的な青写真として提示することは、知恵はおろか、有益なアドバイスにもなりません。」
「私たちは、メッセージの信頼性に関する情報よりもその内容に注意を払い、その結果、データが正当化するよりも単純で首尾一貫した世界観を持ってしまうのです。結論に飛びつくことは、想像の世界では、現実よりも安全なスポーツなのです。」
「・・・自称マーケティングの預言者の多く(ほとんど?)は、実際には未来を予測しようとはしていないということです。自分に有利なように未来を起こそうとしているのです。・・・「セールステクニックとしての予言」を利用して、自分たちが支配しようとする未来を形成したり、加速したりしているのです。 彼らのトリックは、自分たちが好む未来が必然的であり、望ましいものであると私たちに信じさせることです。そして、私たちは皆、それに乗るべきだと(そして、そこから利益を得ようとする彼らの計画に)確信しているのです。 」
「・・・言い換えれば、未来とは、ステージ、演壇、パネル、ブログ、記事などで言われているような、私たちが目指している場所ではなく、私たちの中の少数の天賦の才能が、他の人よりもよく見ることができる場所なのです。それは確率の集合体です。そのため、多くの人が考えているよりもはるかに未知であり、はるかに偶発的なものなのです。
ですから、もし私たちが予言や自作自演のサクセスストーリーや成功の方程式を受け取る側になったとしたら、細心の注意を払い、その誘惑に抵抗し、それに反論し、その信頼性を批判し、その方法論を引き裂き、冷酷に問い詰め、何が抜け落ちているかを考え…そして遠慮なく無視することをお勧めします。
実際のところ、私たちがどんなに彼らに憧れようとも、私たちに何をすべきかを教えてくれる司祭や英雄や預言者は存在しないのです。」
「もし私たちが自分自身で不確実性に立ち向かうのであれば、もっと明確に見る必要があります。」
「明確に見ることは、多様性を受け入れることでもあります。」
「多様なバックグラウンドを持つ人材を採用し、文化的な「適合性」へのこだわりを弱め、教義やイデオロギーではなく実験や探求の文化を奨励し、反対意見を積極的に求めることは、より質の高い会話や、より良く、より完全で、より正確なものの見方を促進するのに大いに役立つでしょう。」
「アルブレヒト・デューラーが「The Great Piece of Turf」を描いたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」のフレスコ画を完成させて、ミケランジェロが後に「ダビデ像」となる5メートルの大理石の塊を削っている頃だった。一方、デューラーの作品は、40.8×31.5cmと非常に地味なものでした。・・・・これは、地味な芝です。しかし、それは天啓です。これは『見る』ことです。(デューラーのこの作品は観察と自然研究にもとづいて描かれた絵画史の傑作です)」
「明確に見るということは、より良い質問をするということでもあります。」
「ドグマやイデオロギー(答えを知っているという確信)は、視野を狭め、チャンスや機会の幅を狭めてしまうものです。逆に、ドグマやイデオロギーを手放すこと(マーケティングでいうところの「ベストプラクティス」)は、視野を広げ、可能性の幅を広げることになります。」
「無知というのは、その使い方を知っていれば、それほど悪いことではありません。過去の経験から知っていると思っていることではなく、頻繁に無知の状態で問題に取り組まなければなりません。」
「私たちは、先見者、預言者、英雄を必要としません。他人の足跡をたどる必要はありません。誰かが予測した明るい未来に向かって走る必要もありません。他人の成功のレシピを適用する必要もない。私たちがすべきことは、自由を行使し、冒険し、注意を払い、心と目を開いて、真実を探し、受け入れる意志と勇気を持つことです。」
こういった記事そのものが認知バイアスなのでは?・・・という感じもしますが、全体を一読する価値はあると思います。
Martin Weigel | Visionaries, Prophets, And Heroes: Facing the future Without Them >>
【関連記事】
2016年の「Taste the Feeling」以来、5年ぶりに新しいキャッチフレーズ。
いままでのコカコーラのコミュニケーションを踏襲した、コロナ禍でもつながりを持つことの必要性がテーマになってます。
マーケティング責任者によると・・・
「私たちは今、ターニングポイントにいます。この18ヵ月間、生活のあらゆる側面が破壊され、私たちは白黒の二元的な世界の見方に戻るか、世界をより良い場所にする手助けをするかという、一世代に一度の選択を迫られています。Real Magicは、私たちのユニークな視点を『抱きしめる』ことで、より人間的な方法を選択するムーブメントを起こそうとしています。」
とのことです。
瓶の形に沿って包み込むようなカタチに歪んだロゴは『ハグ』と呼ぶそうです。
また、CMに登場するのは有名なゲーマーだそうです。
困難な時代の今の若者に、希望を提示しようということのようです。
Striking poster campaign introduces Coca-Cola Real Magic tagline >>
きっとこの人はコロナ禍の自粛生活を楽しく過ごせるタイプの人。
メディアに登場しない姿勢も納得できました。
ファッションを愛していてもファッション界は嫌いなようです。
デザイナーとして勇気ある姿勢を尊敬します。
大胆なコンセプトでもマーケティングなくして大きな成功はなかっただろうけど、マーケティングが入ったことで、それまでの「言語」が失われたとあったのが印象的でした。
コンセプトやステートメントにマーケティング用語を使うのは、ホントにカッコ悪いことだと思いました。
アルバムアートを手がけたアーティストのスタンリー・ドンウッドは、トム・ヨークの学生時代からの友人だそうです。トム・ヨークが楽しそうに紹介してます。
『Kid A』のレコーディング中とその直後に制作されたドンウッドのキャンバス作品6点が出品されるそうです。
アルバムのコンセプトとその世界観を担うアートワークを重視して、『Kid A』のレコーディング時にドンウッドがスタジオに招かれ、アルバムの雰囲気に合わせて絵を描くことになったそうです。
サウンドとその時代の不穏な雰囲気を反映した素晴らしいアートワーク。
The story behind Radiohead’s cover art: meet Thom Yorke and Stanley Donwood >>
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