社会活動家の彼女は、現在の人種・階級・ジェンダー批評の基礎となる数多くの思想を残して先日69歳で亡くなったそうです。彼女が残した「Design: A Happening Life 」という記事が紹介されていました。
彼女が1998年に書いた記事ですが、経済の拡大や格差でデザインの理念や価値が変わったことを認めたうえで、それでもデザインに対しての憧れと愛が感じられるエッセイです。
以下は「Design: A Happening Life」の抜粋です。
「少女時代の夢は建築家になることで、今でもその頃に描いた夢の家の設計図が残っていればと思います。」
「今日、デザインは、物質的なファンタジーを満たすために奔走し、消費することがエクスタシーへの唯一の道であると信じ、相互存在することがロマンチックな夢にしか見えない多くの人々にとって、ほとんど意味を持ちません。私は、先進的な資本主義が、貧しい人々を含むすべての人々がデザインの美的鑑賞を学ぶことができる文化的条件を取り除いていることに直面するたびに、悲しみがこみ上げてくるのです。」
「生まれつき美的感覚に優れている人がいることは確かですが、ほとんどの人は、美を「見る」方法を学ばなければなりません。そして、そのような才能を持つ人たちでさえ、その才能を維持するために「見る」技術を身につけなければならないのです。」
「ウェスト・ヴィレッジをぶらぶらと歩きながら、かつて中流階級以下の家庭で使われていた家具や食器、キャンドルホルダー、ランプなどの工芸品を裕福な人たち向けに販売している店に入ると、デザインに対する私たちの関係が、しばしば階級によって過剰に決定されていることを考えさせられます。50年代の終わり頃、まだそれほどお金がなくても、素晴らしいデザインの椅子やテーブルを所有することが可能だったとは想像しがたいことです。」
「今日、すべての人のためのデザインは存在しません。デザインは、主に経済的に余裕のある人たちや、美意識の高い人たちのためにあるのです。・・・改めて考えてみると、最近の貧乏人や下層階級の家にありがちな人工物は、「本物」の木ではない安物の椅子や、使いすぎて簡単にボロボロになってしまうなど、デザインや芸術性が乏しいものばかりである。しかし、私たちの欲望は、すでに次の物質的なステイタスシンボルへと向かっていたため、その価値を見いだすことはできませんでした。」
「幼い頃、私たちは皆、美しい手作りの掛け布団をベッドの上に置いていました。祖母はそれを美しいものとして見ていましたが、子供たちはその「古風な」掛け布団を取り去り、店で買った毛布や布団に取り替える日を心待ちにしていました。しかし、物質的に恵まれた消費者が、マスメディアを通じて、掛け布団を価値あるものとして認識するようになると、私の家族のメンバーも、掛け布団に対する見方を変え始めたのです。問題の核心は、美的価値ではなく、物質的なステイタスだったのです。」
「ハーウェル・ハミルトン・ハリスが語ったデザインのビジョンは、今日では意味を持つために苦闘しなければならない。50年代、彼は卒業生を前にして、次のような感想を述べています。『デザインを日常化させてはいけない。デザインを日常化してはいけない。新しいデザインは、作り直しではなく、まったく新しいものが生まれるという確信を持って、毎回ワクワクしながら始めなさい。それは、自分自身の本質の発見であり、宇宙の本質の発見である。それは、自分自身を成長させる手段でもあるのです。私は、建築を生計を立てるための手段としてではなく、生きるための建築について話しているのです。』・・・このビジョンを実現するためには、デザインは私たちの生き方を形作るものであり、精神的な価値を持つものであると考えなければならないでしょう。私たちは、本当に生きていかなければならないのです。人生が起こっているとき、デザインは意味を持つのです。」
「私を導き支えてきた第一の原則は、シンプルであることに喜びと楽しみを見出すという実践でした。・・・シンプルであることを大切にしようという呼びかけは、しばしば誤解され、美や贅沢を排し、「上質なもの」を味わうことなく生きろという意味にしか聞こえません。・・・私にとっての「シンプルであること」は、「目に見える美しさ」の先にある「美しさ」を探し求めることであり、「日常の中にある美しさ」を見いだすことなのです。シンプルでエレガントなものを目指すようになったのは、過剰なものへの束縛から解放されたいという思いからでした。それは、従来のデザインに対する考え方が、私の美的感覚を曇らせているように思えたからです。」
まだインターネット今ほど普及していない1998年の記事ですが、2021年でSNS全盛の現在にも通じる視点です。何百年も前からデザインは所有者のステイタスを誇示する付加価値を発揮してきたと思います。古今東西の多くのデザイナーもこのステイタスの感覚をビジネスに利用してきたと言えそうです。デザイナー自身のステイタスも同様に誇示されてきたことでしょう。羨望や欲に根差した要素はいつの時代も人の目に付きやすく、人の気を引きやすいようです。一方で「すべての人のためのデザイン」は、ほとんどの人が認知できないくらい背景化していくのかもしれません。
元記事はこちら
‘Today, there is no design for everybody.’ Read bell hooks’ earth-shaking essay on design >>
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