先日84歳で亡くなったそうです。
60年に渡って、建築や工業デザインを手掛けて「ミニマルデザインの画一性への反駁」と評されていたそうです。
特徴的な素材を用いた個性的なデザインは、デザインが人間的な創作行為であることを思い出させてくれます。
「私の素材は流動的で、現代の自然にマッチしています。」
「私にとって美とは、ユニークであること、他とは違うこと、つまり人間である以上、間違いだらけの美が好きなのです。完璧は機械のためのものであり、時代遅れであり、消えてしまったものなのです」。
5 classic Gaetano Pesce pieces that remind us design can be joyful >>
60年代〜70年代の名作はエレガントでかっこいいです。
それぞれの作品の年代を追っていくと、その時代に何を仕掛けていたのか少しだけ見えてくる感じでした。
デザイン、ブランド、ビジネスのどの点においても素晴らしいです。
コンセプトの明晰さとバリエーションの豊かさも圧倒的です。
「ファッションは色あせるけれど、スタイルは永遠。 Fashions fade, style is eternal.」
世界屈指のブランドコンサルティング会社 Wolff Olins の共同創設者マイケル・ウルフの自叙伝がKICKSTARTERで出資を募ってます。
こういう本を日本語で出版してほしいです。
マイケル・ウルフは古くはビートルズのアップル・レコードの林檎のシンボルで有名です。
60年代のスウィンギング・ロンドンの時代からの創造性とアイデアとビジネスのストーリーのようです。
クリエイティブ精神とエゴなど、デザイナーが直面する内的な課題についても、長い経験に裏付けられたアドバイスがあるようです。
以下はリンク先の記事から抜粋です。
「スウィンギング ’60sは、1950年代の戦後の後の創造性の爆発でした。物がデザインされたものであること、あるいはデザイナーが存在することさえ知っている人はほとんどいませんでした。 それは、創造性によって推進される全く新しい産業を形成する激しい時期でした。」
「現在、デザインは多額の予算がかかる大事業であり、それが安全策につながります。そしてデジタルは、その素晴らしさにもかかわらず、ある種の当たり障りのないものを押し付けています。」
「創造性が収益性に従属するようになるのは悲しいことです。しかし、私たちがやっていることの要点は、他の人たちと協力し、自分自身を超えて自分自身を伸ばすために自分自身を押し上げることです。自分の限界を超えるのは腹立たしいので、今ではそれを行う人はほとんどいないと思いますが、 それまで存在していなかったものが突然開けるので、素晴らしい気分です。」
「状況は常に変化しています。さまざまなクライアント、さまざまな戦略、さまざまな商取引分野、さまざまな関係者です。しかし、すべての新しい経験から影響を受けて常に進化しているため、状況も異なります。」
「私は昨日の私と同じ人間ですらない。私たちは皆、常に変化しており、その変化を受け入れること、つまり自分が知っていることに固執しないこと、知的かつ創造的に機敏になるのに役立ちます。」
「(共同創設者のウォーリー・オーリンズについて)私たちは信じられないほど補完し合うようになりました。潜在的なクライアントに会いに行き、それぞれの異なる目を通して見たとき、それは非常にうまくいきました。しかし、徐々に私たちの違いが私たちを引き離しました。ウォーリーとパートナーは Wolff Olins を売却して利益を享受したいと考えていましたが、一方で 私にとってそれは天職であり、それが私たちの間に緊張を生み出しました。」
「他人の創造性を尊重することを学ぶことは、Wolff Olinsの構築において非常に重要なガイドとなりました。文化を発展させ、育てる際、私は自分の創造的なエゴを置いて他の人々が輝けるようにする必要がありました。私にとって重要なのは、他人に特別な点を認識することで、自分の見たいものを見るのではなく、他人の創造性のルーツを尊重し、それが私たち全員が共同で行うことをどのように向上させるかを見ることでした。」
「アイデアを発展させる際、私たちは他のすべてを排除するお気に入りのアイデアに着地することがあります。しかし、そのような貴重なアイデアでも一時的に一旦置いて、さまざまなアイデアの中に深く入っていく必要があります。」
「私たちは皆、デフォルトの位置づけを持っており、それに誤って傾きがちです。それを置いておいて、創造性を再構成する勇気を持つことこそが、本当に素晴らしいアイデアの源です。」
91歳でマンハッタンの自宅で亡くなったそうです。
10年以上続いたエスクワイア誌の表紙や初期MTVのキャンペーンなどで有名な広告クリエイティブのレジェンド。
批評やカウンターカルチャーに根差した明快なアイデアで、胸のすくアートディレクションです。
痛快な視点が魅力的です。
サービス精神のある人で、歯に衣着せぬインタビューもおもしろいです。
Legendary Art Director George Lois Dead at 91 >>
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国や社会が壊れていくとき、日常が失われて、続けていた仕事も失われることを実感できる記事です。
デザインの仕事が継続されることは、その後の復興につながるのかもしれません。
全米に250のオフィスを持つ、ランドスケープアーキテクチャー、プランニング、アーバンデザインの会社であるSWAによる「Support by Design」という取り組みです。
ウクライナに拠点を置くデザイナーや、ウクライナから避難を余儀なくされているデザイナーに、パートタイムまたはフルタイムの仕事を提供することを目的としています。
キンダー・バウムガードナーはSWAのヒューストンオフィスの代表で、戦争がウクライナのデザイン業界を劇的に混乱させる中、このプロジェクトを主導してきました。
「一夜にして、デベロッパーも、公園部門も、大きなインフラプロジェクトも、もうないのです。それはもう終わったのです。・・・もしあなたが建築家なら、もしあなたが造園家や都市デザイナーなら、次の日起きたら、何もすることがなくなっていたのです。」
世界各地でプロジェクトを進める造園スタジオの代表である彼にできることのひとつは、人を雇うことでした。
まずは、ネットで見つけたウクライナの造園家やデザイナーのメールアドレスに、仕事がないかどうか、手当たり次第に問い合わせたそうです。
「1週間ほど経った頃、1人の女性からメールが届きました。彼女は難民で、ウクライナを出てスウェーデンにいるのですが、『仕事が必要で、仕事が必要な造園家をたくさん知っている』という内容でした。」
彼らの情報を集め始め、それをスプレッドシートに入力しました。
同僚が大学のプログラムや専門機関に働きかけ、少しずつスプレッドシートは100人以上のデザイナーに広がっていった。
「履歴書を送ってくれたり、助けてくださいと言ってくれる人が出てきたんです。」
SWAのヒューストンスタジオでは、8人のウクライナ人デザイナーが働いているそうです。彼らは、ヒューストンの住宅地やエジプトの新しい公園などのデザインプロジェクトで、施工図の作成やコンセプトデザインへの貢献など、リモートで簡単にできる仕事をこなしています。
米国の都市デザイン、建築、景観設計の大手事務所とも連絡を取りあって、データベースから人材を採用する方法を探っているそうです。
データベースには、各デザイナーに関する情報や経験、デザインポートフォリオが登録されています。
リストに載っている男性は、民間防衛軍にも所属しているため、ほとんどがパートタイムでしか働けません。一方、女性たちは故郷を離れ、ウクライナの各地、あるいは見知らぬ土地で暮らしている。
「彼らは、毎日一緒に働いていた人たちと連絡が取れないだけでなく、まったく別の場所にいるのです・・・日常はとても混乱しているので、誰かがあなたの人生にほんの少し確実性や主体性を与えてくれるなら、それはとても大きな意味を持つのです。」
「この戦争が続く限り、デザイナーに仕事がなく、この職業との接点がなくなれば、国の再建を支援する立場にはなれないかもしれないのです」
元記事はこちら
The war in Ukraine has devastated local designers, so U.S. firms are giving them jobs >>
およそ100年前のデザインですが、いきいきとしています。
20世紀初めのデザインが大きく変革した時代に、時代の先端を行くデザインだったでしょう。
満州の暮らしを描いたドローイングを絵巻物のような装丁にしているのが面白かったです。
いつの時代も、魅力的なドローイングを描くスキルはデザイナーを良い仕事に導いてくれると思います。
なによりも、デザイナー自身のイメージを豊かにしてくれます。
混乱して緊迫した社会情勢のなかでデザイナーは何ができるのかを考えさせられる記事でした。
戦争が激化する中、ウクライナのデザイナーは、希望のメッセージや正確な情報を広め、支援を行うために仕事を再編成しているそうです。
2022年3月11日時点の記事。以下は抜粋です。
ウクライナ人デザイナーのアレクサンドラ・ドログンツォワさんはデザインコンサルタント会社Bandaのクリエイティブディレクターです。
「現在、Bandaの85人のチームは、バーチャルでコラボレーションを行っています。多くのスタジオメンバーもキエフからの脱出を決めたが、中には年老いた親戚のもとに残った者もいました。」
「商業的な仕事はすべてストップしています。その代わり、散り散りになったデザイナーたちは、主に3つの分野のプロジェクトに取り組んでいます。」
「1つめは、国内にとどまる人々やボランティアに力を与えるための動機付けのための資料を作成することを優先しています。2つ目は、クライアントとのコミュニケーションプロジェクトです。例えば、Bandaは最近、高級ファッションブランドに対してロシアとの取引停止を呼びかけるビデオを制作しました。最後に、スタジオは、何が起こっているのか「聞こえない、見えない」状態のロシアの一般市民を対象としたプロジェクトに取り組んでいます。・・・例えば、ロシア人女性に送られたステッカーは、表向きはお祝いカードですが、ロシア兵の彼女の息子はもう死んでいるかもしれないということを知らせているのです。・・・どれも暗い話ばかりで、中には攻撃的なものもあります。私たちは、すべてのボタンを押そうとしているのです。」
イリヤ・パブロフは2年前にハリコフからオーストリアに移り住み、仕事をしています。マリア・ノラジアンと共同設立した彼のスタジオ「グラフロム」は、まだハリコフに事務所を構えている。
パブロフさんは、以前からデザインのレンズを通して戦争を考えてきた。2014年にドンバスで戦争が勃発した際には、ポスターデザインと詩を組み合わせたプロジェクトに取り組みました。
ウクライナの現場でのコミュニケーションデザインは、今、本領を発揮しているそうです。
「明確で的確な情報が求められ、避難所での道案内システムなど実用的な用途もある。ビジュアルコミュニケーションの役割は何かという点について、非常に強い刺激を受けました。ビジュアルコミュニケーションとは、実は物事を伝えることであって、モノを売ることでも、モノを美しく見せることでもないのです。」
多くのデザイナーがそうであるように、パブロフさんも母国を応援するポスターを制作してきました。これは、90年代にグラフィックデザイナーの団体によって設立されたポスターフェスティバル「4thブロック」と関連しています。
「戦時中に軽薄な印象を与えるのではないか?でも、危機的な状況だからこそ、文化は重要なのです。何のために戦っているのかを思い出させてくれるのです。」
パブロフさんのデザインは、QRコードでファンディングサイトに誘導するのが特徴です。
「QRコードは何十年も前から存在していましたが、最近になって復活し、このような情報を素早く伝えるのに役立っているます。」
ウクライナを支援するポスターがソーシャルメディアのフィードに溢れています。多くの場合、ウクライナの国旗の青と黄色を使い、通常は平和の鳩とひまわり(同国の国花で、現在は抵抗のシンボル)をモチーフにしています。多くのポスターは抽象的または哲学的な表現をしており、それはパブロフさんが目にしている流血の恐ろしいイメージと並置されているのです。
「ポスター、色彩、タイポグラフィ、これらはすべて、実際に起こっていることに対して美しすぎる。今、どんなに恐ろしいことが起きているかを伝えるには、実際の写真を見せるのが一番だと思うことがあるんだ。」
ウクライナ人デザイナーのヤナ・ヴォコさんは、現在住んでいるフランスに住んでいます。
グラフィックデザイナーとして最初に考えたのは、ウクライナのデザイナーからポスターを集めて印刷し、街頭に出すことでした。
当初はデジタルプラットフォームを立ち上げましたが、巨大化し手に負えなくなりました。
デザインコミュニティProjectorのメンバーがこのリソースを引き継いで再開させました。
「これらのビジュアルが作成され、配布されるスピードは、ウクライナのクリエイティブ・コミュニティの強さと協調性を物語っています。デザイナーたちは皆、自分たちのネットワークがいかに金銭的、精神的、そして物流的なサポートを提供しているか、口を揃えて言っていました。それはコミュニケーションワークの制作支援であったり、離職したデザイナーへのフリーランスとしての仕事のオファーだったりします。・・・国際的なデザイナーは、ポスター以外でも支援を表明しています。ペンタグラムのマット・ウィリーは、LT2 Stencilという書体をデザインし、利益の100%をウクライナの難民支援に充てています。」
ヴォコさんは、ビジュアルはウクライナのメッセージを広める上で大きな役割を担っていると言います。
「プロパガンダや信頼性に欠ける情報がまだまだ多いです。私にとって、私たちの役割は、さまざまな観客の注意を引く媒体を見つけることです。例えば、フランスではウクライナの監督を紹介するドキュメンタリーフェスティバルの構想があります。」
ロンドンのデザインオフィス『Pearson Lloyd』の共同創業者のトム・ロイドのエッセイです。
これからのデザインの課題について秋岡芳夫に通ずるような明快さでわかりやすいメッセージです。
このような意見をいくつか見かけるようになりました。そういうトレンドが始まっているということなのでしょうか。
いくつか抜粋です。
「コロナ禍は私たちの生活のすべてを根底から覆し、その過程で変容の引き金として作用しているのです。都市は再形成され、コミュニケーションは再定義され、仕事は再構築され、そしておそらくパンデミックは、より根本的なシステムの変化のための触媒となることでしょう。」
「これらのデザインを取り巻くプロセスやシステムは、過去25年間に私たちが経験した驚くべき変化を反映しており、これ以上ないほど異なっています。私たちがなぜ、そしてどのように物事を適切に作るかについて議論することは、今や毎日の仕事の一部となっています。生産、流通、所有、消費のモデルはすべて流動的です。」
「デザインの歴史において、『付加価値』というテーマには共通の物語が存在します。おそらく、20世紀半ばのレイモンド・ローウィのようなデザイナーに最もよく関連しているのは、デザインが製品にもたらす価値で、製造されたものをより好ましく、より効率的に、より売りやすく、そしてもちろん、より収益性の高いものにすることに関係しているということでしょう。今日、デザインの役割は価値を付加することに変わりはありませんが、その価値提案は再定義され、再整理される必要があるのではないでしょうか?」
「製造と私たちの関係の構成要素やデザインの語彙は、再定義されつつあります。
新しさから長寿命へ
直線から循環へ
抽出型から再生型へ
排他的なものから包括的なものへ
所有から共有へ
デザインからコ・デザインへ
人間中心から自然中心へ」
「デザインは柔軟な技術なのです。私たちは研究者であり、日和見主義者であり、楽観主義者であり、起業家であり、メーカーであり、思想家であり、いじくりまわす人であり、コミュニケーターであり、そして何よりも総合的な人なのです。私たちは複雑性を管理することが得意です。私は、私たちがデザインの力を反映し、称え続け、その関連性と私たちの集合的な未来へのポジティブな貢献を主張し続けられることを望んでいます。ブリーフは書き直されます。それに応えるのは私たち全員なのです。」
元記事はこちら
Tom Lloyd: “What does it mean to be a designer today?”
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ロンドンとニューヨークで広告の黄金時代を生きた人。
デザイナー、イラストレーター、作家、演出家、映画監督、教師・・・幅広い活躍です。
1962年にアラン・フレッチャー、コリン・フォーブスと一緒に設立した会社は、現在のPentagramの前身です。
その会社でグラフィックデザイナーとして働いていた若い頃のチャーリー・ワッツに「君はグラフィックデザイナーよりもドラマーになるべきだ。」とアドバイスした伝説があるそうです。
「最高のデザインとは、スタイルではなく、優れたアイデアに根ざしている」という信条で、
「自分のステートメントを素直に面白いと思えるなら、まさに奇跡が起きる。そのステートメントに耳を傾ければ、ステートメント自体がそれをデザインしてくれるのだ。」
と、インタビューでも語っています。
アイデアとユーモアに溢れたイラストが素晴らしいです。
作品集だけでなく、この人の著作が日本語で出版されてほしいです。
In Memory of Bob Gill, 1931–2021 >>
Designer, proselytiser and visual communication critic: an interview with the inimitable Bob Gill >>
ゴージャスな衣装とグラフィックに目眩がする感じ。なんというか、バブルなビジュアルデザインの「過剰さ」「過激さ」をダイナミックに体現していたと思います。「身体」と「顔」でいっぱいの展示でした。
会場全体にずっと流れている石岡瑛子のインタビュー音声がウザい印象でしたが、「熱さ」は充分伝わってきました。
ただし、独善的とも言えるこの類いの熱さはデザイナーの感覚やデザイン業界を歪めてきたひとつの要因かもしれない気もしました。
石岡瑛子がキャリアを通じて自身のデザインの領域を押し広げて行く姿勢はスゴいの一言ですが、90年代以降の米国でグラフィックデザインの活動を続ける選択肢はなかったのだろうか・・・とも思いました。
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