国や社会が壊れていくとき、日常が失われて、続けていた仕事も失われることを実感できる記事です。
デザインの仕事が継続されることは、その後の復興につながるのかもしれません。

全米に250のオフィスを持つ、ランドスケープアーキテクチャー、プランニング、アーバンデザインの会社であるSWAによる「Support by Design」という取り組みです。
ウクライナに拠点を置くデザイナーや、ウクライナから避難を余儀なくされているデザイナーに、パートタイムまたはフルタイムの仕事を提供することを目的としています。
キンダー・バウムガードナーはSWAのヒューストンオフィスの代表で、戦争がウクライナのデザイン業界を劇的に混乱させる中、このプロジェクトを主導してきました。

「一夜にして、デベロッパーも、公園部門も、大きなインフラプロジェクトも、もうないのです。それはもう終わったのです。・・・もしあなたが建築家なら、もしあなたが造園家や都市デザイナーなら、次の日起きたら、何もすることがなくなっていたのです。」

世界各地でプロジェクトを進める造園スタジオの代表である彼にできることのひとつは、人を雇うことでした。
まずは、ネットで見つけたウクライナの造園家やデザイナーのメールアドレスに、仕事がないかどうか、手当たり次第に問い合わせたそうです。
「1週間ほど経った頃、1人の女性からメールが届きました。彼女は難民で、ウクライナを出てスウェーデンにいるのですが、『仕事が必要で、仕事が必要な造園家をたくさん知っている』という内容でした。」
彼らの情報を集め始め、それをスプレッドシートに入力しました。
同僚が大学のプログラムや専門機関に働きかけ、少しずつスプレッドシートは100人以上のデザイナーに広がっていった。
「履歴書を送ってくれたり、助けてくださいと言ってくれる人が出てきたんです。」

SWAのヒューストンスタジオでは、8人のウクライナ人デザイナーが働いているそうです。彼らは、ヒューストンの住宅地やエジプトの新しい公園などのデザインプロジェクトで、施工図の作成やコンセプトデザインへの貢献など、リモートで簡単にできる仕事をこなしています。

米国の都市デザイン、建築、景観設計の大手事務所とも連絡を取りあって、データベースから人材を採用する方法を探っているそうです。
データベースには、各デザイナーに関する情報や経験、デザインポートフォリオが登録されています。
リストに載っている男性は、民間防衛軍にも所属しているため、ほとんどがパートタイムでしか働けません。一方、女性たちは故郷を離れ、ウクライナの各地、あるいは見知らぬ土地で暮らしている。

「彼らは、毎日一緒に働いていた人たちと連絡が取れないだけでなく、まったく別の場所にいるのです・・・日常はとても混乱しているので、誰かがあなたの人生にほんの少し確実性や主体性を与えてくれるなら、それはとても大きな意味を持つのです。」

「この戦争が続く限り、デザイナーに仕事がなく、この職業との接点がなくなれば、国の再建を支援する立場にはなれないかもしれないのです」

元記事はこちら
The war in Ukraine has devastated local designers, so U.S. firms are giving them jobs >>

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2022年4月26日 デザイナー

上野リチ_01

上野リチ_02

上野リチ_03

上野リチ_04

上野リチ_05

およそ100年前のデザインですが、いきいきとしています。
20世紀初めのデザインが大きく変革した時代に、時代の先端を行くデザインだったでしょう。

満州の暮らしを描いたドローイングを絵巻物のような装丁にしているのが面白かったです。

いつの時代も、魅力的なドローイングを描くスキルはデザイナーを良い仕事に導いてくれると思います。
なによりも、デザイナー自身のイメージを豊かにしてくれます。

上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展 | 三菱一号館美術館

2022年4月5日 デザイナー

ポスター

混乱して緊迫した社会情勢のなかでデザイナーは何ができるのかを考えさせられる記事でした。
戦争が激化する中、ウクライナのデザイナーは、希望のメッセージや正確な情報を広め、支援を行うために仕事を再編成しているそうです。
2022年3月11日時点の記事。以下は抜粋です。

ウクライナ人デザイナーのアレクサンドラ・ドログンツォワさんはデザインコンサルタント会社Bandaのクリエイティブディレクターです。

「現在、Bandaの85人のチームは、バーチャルでコラボレーションを行っています。多くのスタジオメンバーもキエフからの脱出を決めたが、中には年老いた親戚のもとに残った者もいました。」

「商業的な仕事はすべてストップしています。その代わり、散り散りになったデザイナーたちは、主に3つの分野のプロジェクトに取り組んでいます。」

「1つめは、国内にとどまる人々やボランティアに力を与えるための動機付けのための資料を作成することを優先しています。2つ目は、クライアントとのコミュニケーションプロジェクトです。例えば、Bandaは最近、高級ファッションブランドに対してロシアとの取引停止を呼びかけるビデオを制作しました。最後に、スタジオは、何が起こっているのか「聞こえない、見えない」状態のロシアの一般市民を対象としたプロジェクトに取り組んでいます。・・・例えば、ロシア人女性に送られたステッカーは、表向きはお祝いカードですが、ロシア兵の彼女の息子はもう死んでいるかもしれないということを知らせているのです。・・・どれも暗い話ばかりで、中には攻撃的なものもあります。私たちは、すべてのボタンを押そうとしているのです。」

イリヤ・パブロフは2年前にハリコフからオーストリアに移り住み、仕事をしています。マリア・ノラジアンと共同設立した彼のスタジオ「グラフロム」は、まだハリコフに事務所を構えている。

パブロフさんは、以前からデザインのレンズを通して戦争を考えてきた。2014年にドンバスで戦争が勃発した際には、ポスターデザインと詩を組み合わせたプロジェクトに取り組みました。
ウクライナの現場でのコミュニケーションデザインは、今、本領を発揮しているそうです。

「明確で的確な情報が求められ、避難所での道案内システムなど実用的な用途もある。ビジュアルコミュニケーションの役割は何かという点について、非常に強い刺激を受けました。ビジュアルコミュニケーションとは、実は物事を伝えることであって、モノを売ることでも、モノを美しく見せることでもないのです。」

多くのデザイナーがそうであるように、パブロフさんも母国を応援するポスターを制作してきました。これは、90年代にグラフィックデザイナーの団体によって設立されたポスターフェスティバル「4thブロック」と関連しています。

「戦時中に軽薄な印象を与えるのではないか?でも、危機的な状況だからこそ、文化は重要なのです。何のために戦っているのかを思い出させてくれるのです。」

パブロフさんのデザインは、QRコードでファンディングサイトに誘導するのが特徴です。
「QRコードは何十年も前から存在していましたが、最近になって復活し、このような情報を素早く伝えるのに役立っているます。」

ウクライナを支援するポスターがソーシャルメディアのフィードに溢れています。多くの場合、ウクライナの国旗の青と黄色を使い、通常は平和の鳩とひまわり(同国の国花で、現在は抵抗のシンボル)をモチーフにしています。多くのポスターは抽象的または哲学的な表現をしており、それはパブロフさんが目にしている流血の恐ろしいイメージと並置されているのです。

「ポスター、色彩、タイポグラフィ、これらはすべて、実際に起こっていることに対して美しすぎる。今、どんなに恐ろしいことが起きているかを伝えるには、実際の写真を見せるのが一番だと思うことがあるんだ。」

ウクライナ人デザイナーのヤナ・ヴォコさんは、現在住んでいるフランスに住んでいます。
グラフィックデザイナーとして最初に考えたのは、ウクライナのデザイナーからポスターを集めて印刷し、街頭に出すことでした。
当初はデジタルプラットフォームを立ち上げましたが、巨大化し手に負えなくなりました。
デザインコミュニティProjectorのメンバーがこのリソースを引き継いで再開させました。

「これらのビジュアルが作成され、配布されるスピードは、ウクライナのクリエイティブ・コミュニティの強さと協調性を物語っています。デザイナーたちは皆、自分たちのネットワークがいかに金銭的、精神的、そして物流的なサポートを提供しているか、口を揃えて言っていました。それはコミュニケーションワークの制作支援であったり、離職したデザイナーへのフリーランスとしての仕事のオファーだったりします。・・・国際的なデザイナーは、ポスター以外でも支援を表明しています。ペンタグラムのマット・ウィリーは、LT2 Stencilという書体をデザインし、利益の100%をウクライナの難民支援に充てています。」

ヴォコさんは、ビジュアルはウクライナのメッセージを広める上で大きな役割を担っていると言います。

「プロパガンダや信頼性に欠ける情報がまだまだ多いです。私にとって、私たちの役割は、さまざまな観客の注意を引く媒体を見つけることです。例えば、フランスではウクライナの監督を紹介するドキュメンタリーフェスティバルの構想があります。」

“We’re trying to push all the buttons”: how Ukrainian designers are supporting a country in crisis >>

2022年3月22日 デザイナー

Tom Lloyd

ロンドンのデザインオフィス『Pearson Lloyd』の共同創業者のトム・ロイドのエッセイです。
これからのデザインの課題について秋岡芳夫に通ずるような明快さでわかりやすいメッセージです。
このような意見をいくつか見かけるようになりました。そういうトレンドが始まっているということなのでしょうか。

いくつか抜粋です。

「コロナ禍は私たちの生活のすべてを根底から覆し、その過程で変容の引き金として作用しているのです。都市は再形成され、コミュニケーションは再定義され、仕事は再構築され、そしておそらくパンデミックは、より根本的なシステムの変化のための触媒となることでしょう。」

「これらのデザインを取り巻くプロセスやシステムは、過去25年間に私たちが経験した驚くべき変化を反映しており、これ以上ないほど異なっています。私たちがなぜ、そしてどのように物事を適切に作るかについて議論することは、今や毎日の仕事の一部となっています。生産、流通、所有、消費のモデルはすべて流動的です。」

「デザインの歴史において、『付加価値』というテーマには共通の物語が存在します。おそらく、20世紀半ばのレイモンド・ローウィのようなデザイナーに最もよく関連しているのは、デザインが製品にもたらす価値で、製造されたものをより好ましく、より効率的に、より売りやすく、そしてもちろん、より収益性の高いものにすることに関係しているということでしょう。今日、デザインの役割は価値を付加することに変わりはありませんが、その価値提案は再定義され、再整理される必要があるのではないでしょうか?」

「製造と私たちの関係の構成要素やデザインの語彙は、再定義されつつあります。
新しさから長寿命へ
直線から循環へ
抽出型から再生型へ
排他的なものから包括的なものへ
所有から共有へ
デザインからコ・デザインへ
人間中心から自然中心へ」

「デザインは柔軟な技術なのです。私たちは研究者であり、日和見主義者であり、楽観主義者であり、起業家であり、メーカーであり、思想家であり、いじくりまわす人であり、コミュニケーターであり、そして何よりも総合的な人なのです。私たちは複雑性を管理することが得意です。私は、私たちがデザインの力を反映し、称え続け、その関連性と私たちの集合的な未来へのポジティブな貢献を主張し続けられることを望んでいます。ブリーフは書き直されます。それに応えるのは私たち全員なのです。」

元記事はこちら
Tom Lloyd: “What does it mean to be a designer today?”

Pearson Lloyd >>

2021年12月27日 デザイナー

ボブ・ギル ポートレイト/p>

ロンドンとニューヨークで広告の黄金時代を生きた人。
デザイナー、イラストレーター、作家、演出家、映画監督、教師・・・幅広い活躍です。

1962年にアラン・フレッチャー、コリン・フォーブスと一緒に設立した会社は、現在のPentagramの前身です。
その会社でグラフィックデザイナーとして働いていた若い頃のチャーリー・ワッツに「君はグラフィックデザイナーよりもドラマーになるべきだ。」とアドバイスした伝説があるそうです。

「最高のデザインとは、スタイルではなく、優れたアイデアに根ざしている」という信条で、
「自分のステートメントを素直に面白いと思えるなら、まさに奇跡が起きる。そのステートメントに耳を傾ければ、ステートメント自体がそれをデザインしてくれるのだ。」
と、インタビューでも語っています。

アイデアとユーモアに溢れたイラストが素晴らしいです。
作品集だけでなく、この人の著作が日本語で出版されてほしいです。

In Memory of Bob Gill, 1931–2021 >>

Designer, proselytiser and visual communication critic: an interview with the inimitable Bob Gill >>

2021年11月15日 デザイナー

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ゴージャスな衣装とグラフィックに目眩がする感じ。なんというか、バブルなビジュアルデザインの「過剰さ」「過激さ」をダイナミックに体現していたと思います。「身体」と「顔」でいっぱいの展示でした。

会場全体にずっと流れている石岡瑛子のインタビュー音声がウザい印象でしたが、「熱さ」は充分伝わってきました。

ただし、独善的とも言えるこの類いの熱さはデザイナーの感覚やデザイン業界を歪めてきたひとつの要因かもしれない気もしました。

石岡瑛子がキャリアを通じて自身のデザインの領域を押し広げて行く姿勢はスゴいの一言ですが、90年代以降の米国でグラフィックデザインの活動を続ける選択肢はなかったのだろうか・・・とも思いました。

石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか >>

2020年11月29日 デザイナー

88歳だったそうです。コロナで亡くなったそうです。
美術評論家の奥さんもその翌日に亡くなったそうです。

動画は2008年のインタビュー。「デザイン」と「プロジェクト」について、また、職人としてのデザイナーの理想について語ってるようです。

元記事はこちら
enzo mari has died aged 88 | designboom >>

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エンツォ・マーリとベルリン王立磁器工場(KPM)のプロジェクトの記録

2020年10月21日 デザイナー

映画 バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアン

映画 バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアン

映画 トータル・リコールのピラミッド シティ

バック・トゥ・ザ・フューチャーの他にも、E.T.、 レイダース、トータルリコール、エイリアン、第9地区 なども手掛けていたそうです。

SF映画と言われて思い浮かべるあのイメージは、この人のイマジネーションとドローイングからはじまってるものがたくさんあるようです。すばらしい仕事だと思います。

10代の頃にディズニーのアニメーターとして働き始めて、漫画家、編集者、映画の特殊効果やデザインなど、多岐にわたる仕事をされたようです。

RONCOBB.NET | The Website of RON COBB

2020年9月24日 デザイナー

カレル・マルテンス「Re-Printed Matter」

カレル・マルテンス「Re-Printed Matter」

81歳になるカレル・マルテンスが失敗を重ねながらデジタルなデザインプロセスに挑戦した様子をインタビューで答えてます。
「わからない」という状況で、創造的に失敗を重ねることの大切さが伝わってきます。
うまくできることを繰り返すのではなく、失敗のプロセスにこそインスピレーションがあるようです。
また、現在のデザインは「完成しすぎ」で、デザインには「不在(欠けていること)」が大切だとも話しています。

若い頃にこういう先生に教わりたかったです。

以下は抜粋・・・

カレルが1961年にアーネム・アカデミー・オブ・アート・アンド・インダストリアル・アーツでファインアートを学んだ後にキャリアをスタートさせたとき、業界は今日のようなスクリーンベースの分野とは全く異なっていた。当時、彼は8~9ポイントサイズの小さな活字を手描きで描いていました。ボタンを押すと目の前に文字が現れるという今日の技術的なシンプルさとはかけ離れたものでした。

・・・現在のテクノロジーは、Adobeデザイン以前の時代に存在していた制限の多くを消し去ってくれます。しかし、カレル氏にとって、グラフィックデザインは制限から生まれたものであることを忘れてはならない。だから、この新しい時代になっても、アートの基本はほとんど変わっていないのです。

「好奇心は人間にとって非常に重要なものです。棚の上の本を見れば、好奇心が湧いてくるはずです。デザインにおいては、目に見えないもの、不在がとても重要です。でも、デザイナーは、ある食材をセットで提供したり、あるものを暗示したりすることができます。」

ボタンをクリックするだけで簡単に使えるようになった現代では、デザインが「完成しすぎ」と感じることもあるとカレル氏は言います。結局のところ、コンピュータは最初に人間の手によって作られたものを真似しているのです。カレル氏は、この完全すぎるという概念について次のように述べています。「色が多すぎる、形が多すぎる、アイデアが多すぎる。デザインの一部分をある種の躊躇や仄めかしとしておくのは難しいけど重要なことです。」

・・・現代のテクノロジーはデザイナーを「怠け者」にしたと言う人もいるかもしれませんが、一方でカレルにとっては、アナログな方法に戻ることは意味がないと考えています。今あるものには理由があるのです。過去は終わってしまったのです。

「もう誰も作れないような方法で本を作るのは馬鹿げている。それはパッセだし、美しいかもしれないし、繰り返しても美しい。でも、2回目、3回目になったら、新しいことを始めるべきだと思います。」

元記事はこちら
“Absence in design is very important”: Karel Martens on paying attention to the things we don’t see >>

2020年9月3日 デザイナー

ミルトン・グレイサーが亡くなった

プッシュ・ピン・スタジオからの永年の活躍は、世界中のグラフィックデザイナーの憧れだと思います。
システムに則ったルールが重視されるビジュアルデザインの現状では、60年代や70年代にミルトン・グレイサーのやっていたことをもう一度参考にしてみるのもいいかも。

91歳だったそうです。

httpsMilton Glaser, Master Designer of ‘I ♥ NY’ Logo, Is Dead at 91 >>

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2020年6月29日 デザイナー