以前に作ったもののバリエーション。線で繋いだだけでまた違った表情。でもスマホで動作が重い。
リロードすると並ぶ個数が4個、9個、16個にランダムで切り替ります。
やりかたがわからなくて、線でつなぐだけのことにも苦労しました。
スクリプトの構造を考え直せば動作も速くなるし、カラーを工夫するだけでもイメージは変わる。
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IBMの社内に掲出された従業員向けのポスター。
ポール・ランドがIBMのコーポレートアイデンティティやポスターを手掛けていた頃のようです。
メッセージに明確でユーモアのあるグラフィックです。
IBMの2代目社長のトーマス・J・ワトソン・ジュニアは「Good Design is Good Business」と言ってたそうです。
企業カルチャーとしてデザインが根付いていくというのは、こういうことに現れるのかも。
The IBM Poster Program: Visual Memoranda by Robert Finkel and Shea Tillman >>
投票を呼びかけるブランディングは大切ですが、デザインするのは難しそうです。
「NYC Votes」のキャンペーンは、有権者がアイデンティティを持ちながらニューヨークで暮らす自分のこととして投票することを促すビジュアルデザインになっています。個性的でありながら、公正で、オープンで、とてもうまくまとめあげていると思います。
すばらしいバランス感覚です。
視覚的な矛盾を個性として利用するインクトラップのアイデアはおもしろいです。
デジタル上の小さな文字もインクトラップのある書体だと読みやすくなるのかも。
以下は抜粋です。
公正な選挙を保証するニューヨークの超党派投票委員会であるNYC Votesは、ペンタグラムのパートナーであるEddie Oparaによる新しいキャンペーンで、選挙を盛り上げています。
「私たちは、すべての人に声があり、その声を聞きたいと思っていることを宣言しようとしているのです。」
「NYC Votes」のキービジュアルは、投票用紙のチェックマークではなく、吹き出しになっています。吹き出しには言葉や画像が入るようになっていて、様々な方法で表現されています。あるときは滑らかなボーダー、あるときはピクセル化された8ビット、さらにはニューヨーク市の5つの行政区の境界線で形作られていることもあります。これらの吹き出しの末端、つまり底部には、”Vote ”のVが描かれています。
「すべてはVに由来するという考え方です。その意味で、あなたの一票と声は非常に重要なのです。」
タイポグラフィは、Whyte書体とWhyte ink trap書体を交互に使用しています。丸みを帯びた親しみやすい書体で、「政府機関」というイメージはまったく感じられません。書体には小さく印刷しても読めるようにするために、文字のつなぎ目に余分なインクを受け止めるための切り込みが入っています(インクトラップです)。ペンタグラム乃デザイナーは小さくても読めるようにこのインクトラップを置いているわけではなく、このブランディングの個性のためにインクトラップを利用しています。
「your」のような単語でインクトラップのが強調されていたり、太字であったりと、微妙に異なる表現になっていることに気づくかもしれません。この効果により、特定の単語が微妙に強調され、メッセージに深く入り込むことができるようになっています。
インクトラップの空白と近接した文字間は視覚的に矛盾していて、NYC Votesのロゴにこれまでにない印象を与えています。
「異質であり、個性的です。普通じゃないと言われるかもしれませんが、『普通のニューヨーカーを見たことがありますか?』と言いたいですね。」
NYC Votesの色については、通常の赤、白、青のアメリカ国旗とは全く違います。しかし、実際にはニューヨーク州の州旗をモチーフにしています。ニューヨーク州の州旗の青とオレンジは、ブランドシステムで見られる紫と目を引くオレンジになりました。その他の色は、各行政区の旗から引用し、石(スタテン島)から太陽のような黄色(ブロンクス)などにビビットなフィルターをかけています。
「誰も知らないかもしれませんが、私たちはすべてをニューヨークから調達したいと考えました。その理由は、明確で偏りのないカラーパレットにしたかったからです。」
このブランディングは、信頼感があるが一風変わっていて、オープンだけど整理されていて、楽観的だがニュートラルである、という感じになりました。
人口の2%から5%と推定されるアファンタジアは、精神的なイメージを生み出すことができない病気だそうです。
アファンタジア(Aphantasia)とは心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉です。
イメージ、ドローイング、認知・・・などが連携することで起こるフィードバックと創造性についての紹介です。
「手で考える」プロセスを思い出させてくれます。
以下は抜粋です。
「この病気の名前が公表されたとき、多くのアーティストやデザイナー、建築家などから、『自分にも心の目がない』という連絡があったそうです。
リトルマーメイド』(1989年)などのディズニー作品でアカデミー賞を受賞したグレン・キーン氏もそのひとりでした。
アリエルや、『美女と野獣』(1991年)の野獣をデザインするとき、はじめにイメージを思い浮かべることはなかったそうです。」
「まず、『知っている』『覚えている』ということと『イメージする』ということは違います。描くためには、それがどのようなものか知っていればいいのです。」
「アファンタジアは、物の形に関する知識に基づいた心象風景の生成を妨げるが、その知識が鉛筆と紙を使ったイメージの基礎となることは妨げない。キーンがアリエルの絵を描くことができるのは、人間や魚がどんな形をしているかを知っているからであり、その情報と勉強や練習で身につけた技術が、彼の手を動かしているからである。」
「もうひとつ重要なポイントは、精神的な視覚化が完全に脳内で行われるのに対し、ドローイングは、アーティストの目の前で行われる、部分的に外部の行為であるということです。
ドローイングでは、自分が描いた「マーク(徴/しるし)」を知覚します。認識されたそれぞれの変化は、次の変化を示唆し、フィードバック・ループを形成します。頭の中だけでイメージする必要はありません。
キーンがアリエルを描くときは、彼が言うところの「爆発するような落書き」から始めて、自分が望む形になるまで線を強調したり引いたりします。」
「ビーストのデザインも同様に、試行錯誤を繰り返しました。スタジオに飾ってあるバッファローの頭を真似ることから始めて、ゴリラの眉毛、ライオンのたてがみ、牛の少し垂れた耳など、さまざまな動物の特徴を試してみた。牛の耳が少し垂れていると、ビーストの威圧感が薄れることに気づきました。そして、人間の目を加えたときに、発見がありました。キーンにとって、それは『知っている誰かを認識するようなもの』だったそうです。知っているけどイメージできなかった誰かです。」
ここからの抜粋は、記事や文学やアーティスト自身によって描かれてきたステレオタイプなアーティスト像が登場した理由を紹介しています。
「ルネッサンス期の伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリが『偉大な天才たちは・・・頭の中で発明を模索し、完璧なアイデアを形成し、それを手で表現する』と宣言して以来、何世紀にもわたって西洋文化を支配してきた創造的な芸術家の固定観念に、キーンのようなアフォーダンス(行為)が挑戦しているのです。」
「このヴァザーリの言葉は、レオナルド・ダ・ヴィンチのことを指していますが、彼の発言は、芸術的な創造性を内的な能力と考え、その成果を外の世界で再現するだけだと考えるようになったことを示しています。天才的な芸術家は、作品もさることながら、精神的な発想の豊かさで勝負する。・・・しかし、このような固定観念には歴史的な理由があります。ルネッサンス期の出世欲の強い芸術家は、規則に従った肉体労働をする職人に対抗して自分を定義したかったのです。」
「また、鮮明なイメージを体験することで、精神的に作品を先取りする人もいますが、キーン氏と彼の仲間のアファンタジアの人々は、創造的なプロセスは、周囲の物質的な世界から始まり、それに依存することを示しています。」
アイデアを考えるにも、頭よりも「手で考えろ」とか「手の方が早い」と言わることがあります。
なにも思い浮かばなくても、まずは紙と鉛筆を持って手を動かしてフィードバックを起こすのが大切なようです。
ドローイングを体験として理解しているデザイナーであれば、容易にこの感覚を想像できると思います。
The unusual creative process of the artist behind ‘The Little Mermaid’ and ‘Beauty and the Beast’ >>
80年代のグラフィクデザインとイラストレーションが、どれほど実り豊かだったかを感じる展示でした。
グラフィックデザインのプロセスがデジタル化されて便利になりましたが、いろんなものが失われたんだということも感じました。
描線と透明フィルムとカラートーンの原画を初めて見ましたが、最終的な印刷物と近いイメージになっていて、きっと仕事はスムーズだったんだろうと思います。
旅先や日常で気軽に描くことで自分のテイストを出していくのは、うらやましいです。
とても楽しい展示でした。
ダメなデザインの事例を挙げて、その責任、その原因について紹介してる記事です。
デザイン思考原理主義な感じもありますが、論点が明快でいい記事だと思います。
以下は抜粋です。
今から約80年前、私たちは「人が失敗するのは、使う人ではなく、技術そのもののせいである」ということを痛感しました。第二次世界大戦中、認知心理学者のポール・フィッツとリチャード・ジョーンズは、より安全な航空機を設計しようとしたとき、パイロットが何をしたか、しなかったかよりも、さまざまなボタンやレバーの形や位置など、コックピットのデザインが墜落事故の原因であることを証明しました。これにより、ユーザビリティエキスパートやユーザーエクスペリエンスデザイナーなど、人々が効果的に使用できるようにモノを作ることに焦点を当てた専門職が登場しました。
しかし、数十年後の私たちは、こうした専門家やその助言をしばしば無視しています。例えば、2兆ドル規模のF-35プロジェクトは、安全性に問題があるだけでなく、相反する優先事項や競合する目標を抱えた無駄なプロジェクトであると報じられました。
また、17億5,000万ドルを調達したストリーミングプラットフォーム「Quibi」は、解決すべき問題を明確にするといったデザインの基本ができていなかったため、わずか6カ月で閉鎖されてしまいました。これらの例はいずれも、良いデザインの敵である官僚や経営者の無能さによって失敗に終わっています。
教育機関では技術とデザインが別々の科目として教えられていることもあり、良いデザインの基本が無視されがちです。当時も今も、人々のために良いものをデザインするために不可欠な学際的な洞察力は、必修科目に含まれていません。学生たちは、技術的には機能しても人間的には機能しないものを作っています。
企業にも、良いデザインを阻害するような動機がある場合があります。
70年代のサステイナブルデザインのパイオニア、ヴィクター・パパネックは、これを「売るためのデザイン」と「使うためのデザイン」の違いと表現しました。
買った後で初めて、買ったものの本当のデザインがわかり、最初のユーザー体験は販売のために設計されていることがわかるのです。最も売れる製品、最も人気のある製品は、自分にとっても社会にとっても悪いデザインである可能性があります。
私たちは、衝動的に製品を購入したり、どれだけ多くの機能を持っているかで購入したりしますが、それはその製品が本当に解決できる問題や使いやすさとはほとんど関係がありません。
パパネックの理論は、SNSが顧客のプライバシーや精神的な健康に悪影響を及ぼすことも説明できます。企業は「売るためのデザイン」と「使うためのデザイン」を両立させることができますが、多くの企業はその方法を知らなかったり、株主や市場や消費者からのプレッシャーのために、両立させていません。
技術の進歩を測る方法を、技術に秘められた可能性からではなく、その技術を使って人々が実際に何を成し遂げたかという点に移す必要があります。
消費者からプログラマー、ビジネスリーダーに至るまで、すべての人が、良いデザインとは何かということについてもっと知識を深めなければなりません。消費者にとっては、必ずしも自分がデザイナーになる必要はなく、物を買う前にその物の本当の価値を見極める目を養うことが必要です。技術者やビジネスマンは、悪いデザインにつながる共通の罠を理解し、それを減らすためにできることをする必要があります。
ロンドン・デザイン・ビエンナーレでは、何百本もの使い捨てのスプーンが展示されたそうです。
良いデザインであっても悪い結果をもたらすことがあること、そして必要なシステムの変化についての会話を促すためのインスタレーションです。
この展示を手がけたピーター・エッカートとカイ・リンケは、自分たちのコレクションの何百本ものスプーンを自然史博物館で化石や蝶の種類を展示するようなガラスケースに展示しました。
この展示は使い捨てスプーンのデザインの素晴らしさを紹介しながら、同時に、革新的なデザインであっても、デザイナーが安易で短期的な解決策を重視すると、破壊的な結果を招くことがあるというメッセージでもあります。
ロンドン・デザイン・ビエンナーレのドイツ館をキュレーションし『Spoon Archeology』を選出したトーマス・ガイスラーによると、「私たちは、誰もが単純な答えを求めている時代に生きています。しかし、私たちが直面している問題は複雑で多面的なものであり、複雑な解決策が必要です。即効性のある解決策ではなく、体系的で構造的な変化を推し進める必要があるのです」。
The secrets behind the plastic spoon: a ‘perfect’ design with terrible consequences >>
今年5月に92歳で亡くなったケン・ガーランドは、1960年代のロンドンの「スウィンギング・シックスティーズ」の時代から活躍してきた英国のグラフィックデザイナー。
1964年に発表した「First Things First」というマニフェストや、1966年の著書『Graphics Handbook』で知られています。
2016年のインタビュー記事が公開されました。
グラフィックデザインの思想的な指導者というイメージですが、謙虚で実務的な人物でもあったようです。
以下は抜粋です。
「1920年代、1930年代にドイツやスイスで行われていたデザインは、50年代に英国の我々が取り組んでいたことよりもはるかに進んでいた。私たちは、タイポグラフィ・デザインの夢の国に閉じこもり、前進していないと感じていました。私たちが追いつかなければならない仕事があることはわかっていました。ある意味では、私たちがやったことは、ヨーロッパやアメリカのベストと思われるものを模倣したものでした。」
「私と一緒に学んだ同僚の多くは、すべてをサンセリフ、できればヘルベチカにしたがり、私にはない絶対主義的な傾向を持っていました。私はすでに、グラフィックデザインへの一途なアプローチという考えを抑えていました」
スウィンギング’60sは、ロンドンのデザイン事務所の多くが急速に拡大した時代でしたが、ガーランドは常に小規模でありたいと考えていたそうです。
Ken Garland & Associatesという社名で、最大時に4人のアソシエイトを抱えていましたが、彼の平等主義的なポリシーで、プロジェクトは常に平等に評価され、大規模なクライアントを求めることはなかったそうです。
「常にデザインに関わっていたいと考えていた。秘書的な仕事をする人はいなくて、みんなデザイナーで、デザインをしていました。」
「私たちの世代は、デザインが好きで好きでたまらなかったのだと思います。確かに、大きなデザイングループを必要とするクライアントもいますが、小さなグループでできることは素晴らしいことです。」
KG&Aは常に彼の自宅にオフィスを構えていたため、規模を小さくすることができましたが、実は毎日の通勤を避けたかったことが主な動機だったそうです。
966年の最初の著書『Graphics Handbook』は、実用的なアドバイスが紹介されています。
表紙にはガーランドの印象的なタイポグラフィが使われていますが、この本はガーランドが自分の作品を人前に出すための本ではありません。
「デザイナーが自分の作品を見せて自慢話をするための本があります。私が考えていたのは、仕事をするための本でした。」
この『Graphics Handbook』は約3万部売れ、60年代後半から70年代の学生に、デザインの手法だけでなく、デザインのプロセスやデザイナーに必要なコミュニケーションスキルなど、貴重な指導やアドバイスだったそうです。
お金のない学生に考慮して、参考文献に「必須」「重要」「単なる有用」のマークを付けたそうです。
ガーランドは、グラフィックデザインの思想的なリーダーでしたが、『Graphics Handbook』では、別の側面についても触れています。
「それは、デザインに対する私の異なる姿勢です。ひとつは、何が要求されていて、どうすればそれを満たすことができるかという、事実に基づいた姿勢。もうひとつは、現在のグラフィックデザインの使われ方に影響を与えている社会的要請は何か、そしてそれをどうやって我々の望み通りのものに変えることができるかということです。」
グラフィックデザインを自分の欲求や社会的衝動に合わせてどのように変えていきたいかは、1964年に発表された「First Things First Manifesto」に端的に表現されています。この中でガーランドは、急成長するグラフィックデザイン業界の倫理観として「より便利で長続きするコミュニケーションの形を優先すること」を提唱しています。消費主義と広告の氾濫に対する警告は、いまも多くの若いデザイナーにとっての試金石です。
Ken Garland Was Graphic Design’s Moral Compass >>
The First Things First Manifesto >>
Jones Knowles Ritchie社のリサ・スミスは、ヴィクトリア&アルバート博物館やChobaniのインハウスデザイナーでした、そのあとWolff Olins社では、USA Today、Zocdoc、Grubhub、そして物議を醸したメトロポリタン美術館などのリブランディングを手掛けたそうです。
以下は抜粋です。
スミスはまず、担当するブランドのストーリーをひとつの指針となるフレーズに集約します。
そのストーリーをビジュアルデザインで表現することから始めるそうです。
過去と未来をつなぐアイデアを核として、まったく新しいビジョンを提示します。
そのため、ブランドに元からある美的感覚を壊すこともあります。
つまり、リサ・スミスに既存のデザインのリフレッシュを依頼するのは間違ってるそうです。
「私は小変更が苦手です。私がお役に立てるのは、あなたのビジネスの大きな課題を解決する必要がある場合です。」
2013年に手掛けたメトロポリタン美術館のリブランディングは、古くからのファンに酷評されたそうです。
スミスは美術館の何千もの印刷物やデジタル資産を調査し、さらに世界の主要美術館のブランディングを分析。8ヵ月をかけて、ひとつのフレーズ「Life to Art, Art to Life. 」に集約された新しい戦略をデザインしました。
デジタルメディアや案内表示を、統一されたブランディングによって、アクセスしやすくしました。
従来のロゴであるダヴィンチのアルファベットを模した「M」をやめ、つながりを意味する文字の組み合わせにしました。
批判を受けても、彼女がデザインしたとおりに機能しています。一目でそれとわかるデザインであり、美術館の使命を明確に表現しています。
「メトロポリタン美術館の重厚さと威厳を持ち、同時に、誰もが利用できる施設として、より歓迎され、開放的で親しみやすくする必要がありました。」
「あんなに嫌われた経験はありませんでした。」
Chobani社のヨーグルトのリブランディングでは「Happily ever after」というフレーズがありましたが、スミスは、Chobaniの創業者であるハムディ・ウルカヤが、美味しくて手に入りやすい栄養価の高い食品を提供する羊飼いであり、倫理的な食の実践のための戦士であるという話を読んで、このフレーズを「Fighting for happily ever」に作り替えたそうです。
ブランドアイデンティティ、ウェブサイト、カフェ、パッケージなどを一新したそうです。
このリブランディングは、ヒューマニストで個性的なレトロデザインのトレンドを生み出して、過去10年間のブランディングの大半を占めていたフラットで機能的なミニマリズムを押し退けました。
消費者向けパッケージ商品や多くの企業のブランディングがより親しみやすいものになった大きな理由です。
表情豊かなふにゃふにゃのセリフを持つこの書体のスタイルは、メガブランドから新興企業まで、ここ数年のトレンドになっています。
Burger Kingのリブランドは「Your way, way better」というフレーズに集約されました。
Petco、Snapple、Foursquareなどの最近のリブランディングでは、いずれもコバルトブルーとサンセリフ体の書体でしたが、スミスは、企業ブランドがデジタルフレンドリーなフラットデザインを採用しながらも、独自のアイデンティティを維持できることを示しました。
Ad Ageによる調査では、Burger Kingのパッケージの好意度がMcDonald’sを上回ったそうです。
「デザインは、意図的な変化をもたらすためのものです。」
これは、ストーリーテリングの考え方に基づいているようで、ブランディングの適切な手法だと思います。
このためには、ブランドのストーリーにまつわる、歴史、ポリシー、ヘリテージ、将来のビジョンなどを調べ尽くして、理解し、客観的視点で現在の価値観に照らし合わせるハードワークが想像されます。
地道なハードワークに裏付けられた戦略に沿って、派手で個性的なデザインを展開するのは素晴らしいです。強いハートと、絶妙なバランス感覚なのだと思います。
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ジェシー・ジェームス・ギャレットは、2001年にUXコンサルタント会社Adaptive Pathnoを共同設立し、『The Elements of User Experience』の著者でもあります。
彼が現在のUXデザインを取り巻く問題について語ってます。
UXデザインの決定プロセスや、UXデザインの役割が、UXデザインの本質から離れてしまっていることを嘆いています。
以下は部分的な抜粋です。
「20年前、ユーザーエクスペリエンスデザインが研究室から本格的な産業へと発展したとき、その未来はとても明るいものでした。UXは、一夜にして急成長産業になりました。・・・奇妙に聞こえるかもしれませんが、UXにとって、ある意味では決して良い状況ではありません。実際のデザイン作業の多くは、かつてないほど質の高いものになっています。しかし、これらの明るい兆しの裏には雲があります。」
「私たちの多くにとってUXの暗黙の約束とは、探究心と洞察力による経営という哲学でした。新たな創造的探求が人間の行動ついての新たな疑問につながり、それが新たな製品や価値の機会を定義する原動力となりました。また、UXの文化は、私たちが作ったものを使う人々や、彼らの人生や経験によって私たちとはまったく異なる行動をとる可能性のある人々に対して、ある程度の敬意や思いやり、そしてシンプルな謙虚さを必要としているように思えました。・・・人間中心のデザインの高まりが、人間中心の企業への道を切り開くことになるだろうという理論です。」
「最近の多くの組織におけるUXプロセスは、「UX劇場」(2018年にTanya Snookが考案したアイデア)に過ぎません。無知なビジネスリーダーや希望に満ちたUXの新入社員に対して、しっかりとしたデザインプロセスであるかのように見せかけるために、費用対効果の外観を正当性で磨き上げているのです。この分野の言語やアイデアが、実践の根底にある原則を知らず、気にも留めなかった外部の人間によって共謀され、堕落していくのを目の当たりにしてきました。」
「企業はスケーリングを求めますが、基礎的なUXの仕事はスケールしません。予測可能で反復可能なプロセスや一般的なクッキーカッターのような役割には適していません。なぜなら、UXの仕事は、有機的に進化するビジネスの最先端を特徴づける、未知で、滑りやすく、定義しにくい問題を扱うものだからです。」
「学校ではUXは高貴で創造的であると説明されていたのに、就職してみると、製品をリリースするという名目で高貴さや創造性を発揮する機会がすべて切り取られてしまっているのです。・・・このような状況を招いた責任は、UXデザイナー自身にあると言ってもいいでしょう。彼らは、その仕事の価値について説得力のある話をすることができず、資金を得るために必要な信頼を築くことができませんでした。UXがプロダクションレベル以上の価値を提供するという約束を果たせなかったとしたら、それはそもそも間違った約束だったのかもしれません。言い換えれば、もし私たちがすべて間違っていたとしたら、ということです。」
読んでいるうちに、なんとなく昔のことを思い出してきました。
個人的な印象ですが、UXの少し前に「ユーザーセンタードデザイン」が流行ってたと思います。
もともとは善意と配慮に基づいたデザイン理論だったと思いますが、ビジネス側の人たちには「ユーザーの行動をコントロールして活性化できるかも」という曲解と期待を与えた気がします。
UXはこの流れを汲んでビジネスの現場に受け入れられた気がします。
それまでのユーザーセンタードデザインより実践的で、ビジネス要件のKPIを設定できそうなUXデザインのコンセプトは、スムーズに受け入れられて急成長した気がします。
UXデザインは、最初に期待されたことがUXデザインの本質ではなく、急成長した理由もUXデザインの本質ではなかったかもしれません。それでもUXデザインは人の認知に重要な役割を担うデザイン分野だと思うので、ただのバズワードにならないでほしいです。
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UX Theatre: Are You Just Acting Like You’re Doing User-Centered Design?
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