「UXデザイン」「ヒューマン-センタード デザイン」などの言葉を生み出して、数々の有名企業で活躍し、デザイン教育にも大きく貢献したドン・ノーマンですが、通常のデザイン教育を受けているわけでなく元はエンジニアだったそうです。
これは2020年のインタビューですが、「美しさ」のためのスキルに偏重したデザイン教育を変えてゆく必要があると語っています。デザインがサービスや体験のために使われるようになるためには、社会、経済、政治、工学、医療などの他分野と一緒にデザインに取り組む必要があるそうです。
ここでは「サービス・デザイン」という言葉を使って、ジャーニーマップの手法も紹介しています。
いくつか抜粋です。
「気候変動は、デザイナーが生み出した問題です・・・しかし、デザインが解決策を提供しようとするならば、学生がこれらの問題に取り組めるようにデザイン教育を変える必要があります。」
「デザイン教育は「学問的な深さ」よりも「美学」や「クラフト」が重視されていることに問題があります。私たちが知っているようなデザインを生み出すためには重要なことですが、それだけを学ぶべきではありません。」
「デザインが最も重要なのは、それがサービスや体験のために使われるときです。・・・もし私が病院を設計しているとしたら、その建物が患者や医療従事者にどのようなサービスを提供できるかを考えることは、美観を考えることよりもずっと重要です。」
「未来に向かって楽観的に考えています。問題は、今日のデザインにあるのではなく、そのデザインが置かれている世界にあるのです。世界は変化しており、私たちはその世界に合わせてデザインの仕事を拡大する必要があります。」
デザインにはまだカバーできていない分野がたくさんあって、考慮しなくてはいけないことがたくさんあるようです。
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Metaの最初のブランド広告。
Meta社内のCreativeXグループがDroga5と共同で制作したそうです。
アンリ・ルソーが1908年に描いた「虎と水牛の戦い」を3Dにして、ファンタジックな没入感で「これは楽しいことになるよ」というセリフで締めくくられてます。
これがMetaのビジョンであり将来のメタバースなのかもしれませんが、「デジタルなものはすべてアナログなものよりも自動的に優れている」という独善的な考え方だと批判されてるようです。
楽観的な演出は、SNSが若者にもたらした悪影響やfacebookが指摘されてきた多くの問題をすべて置き去りにしているとも受け取られているようです。
Z世代はバカにされてると思うかも。
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ロンドンとニューヨークで広告の黄金時代を生きた人。
デザイナー、イラストレーター、作家、演出家、映画監督、教師・・・幅広い活躍です。
1962年にアラン・フレッチャー、コリン・フォーブスと一緒に設立した会社は、現在のPentagramの前身です。
その会社でグラフィックデザイナーとして働いていた若い頃のチャーリー・ワッツに「君はグラフィックデザイナーよりもドラマーになるべきだ。」とアドバイスした伝説があるそうです。
「最高のデザインとは、スタイルではなく、優れたアイデアに根ざしている」という信条で、
「自分のステートメントを素直に面白いと思えるなら、まさに奇跡が起きる。そのステートメントに耳を傾ければ、ステートメント自体がそれをデザインしてくれるのだ。」
と、インタビューでも語っています。
アイデアとユーモアに溢れたイラストが素晴らしいです。
作品集だけでなく、この人の著作が日本語で出版されてほしいです。
In Memory of Bob Gill, 1931–2021 >>
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懐かしいロゴが新しくなるそうです。なんかちょっと残念な気もします。
最終日に見ることができました。
「実現しなかったデザイン案や実在しないアーティストの作品などをテーマに集めた展示」ということで、個人的に好きなテーマでした。
実現しなかったデザインの積み重ねこそがイノベーションであり、続いてゆく現実の人生なのだという気がしてきます。
デザインの成功がサクセスストーリーとして語られてブランド化されていくことのほうが虚構なのだと思えてきました。
「東京藝術大学の学生たちがキュレーターたちとともに同展のこれまでの展示内容を日本に『翻訳』する。」とあります。この「翻訳」に含まれるユーモアがもっと洗練されていたらさらに良かったかも。
陳列館はたぶん10年ぶりぐらいで行きましたがいいところでした。
Which Mirror Do You Want to Lick? (どの鏡を舐めたい?)デザインにおける虚構と現実の狭間 >>
Windows11のデザインディレクターChristina Koehnのインタビューです。
プロダクト全体のコンセプトを策定して、具体的には壁紙、テーマ、サウンド、アイコンなどの見た目を左右する要素を担当しているそうです。UXデザイナーやインダストリアルデザイナーとソフトウェアとハードウェアの垣根を越えて取り組む仕事です。
10億人が使うプロダクトをデザインするために、多くのデザイン分野を横断しながら進めるダイナミックなデザインプロセス。
しかも、そのプロセスをコロナ禍のなかで進めたのは素晴らしいです。
以下は抜粋です。
最初のステップとして、チームは一連のデザイン原則を特定して設定しました。これが作業の指針となります。
原則には、「楽」「落ち着き」「パーソナル」「一貫性」などがあり、これらはユーザーエクスペリエンスだけでなく、製品の外観にも影響を与えます。
例えば、「落ち着き」を原則としたのは、新しいOSを使うユーザーの不安を軽減するための試みでした。そのために、チームはWindowsのグラフィック要素の角を丸くし、色を和らげました。
もう一つの原則である「パーソナル」とは、ユーザーが自分のデバイスでどのように作業するかにシステムを適応させる必要があることを意味します。これは特にアクセシビリティに影響します。多くの人々のためにデザインすることの難しさの一つは、”デフォルト ”にこだわらないことです。
それでもチームは、必要に応じて原則にとらわれず、リスクをとって活動しています。
10億人が見ることになるプロジェクトに取り組んでいる以上、自分が出したものを評価してくれない人がいることを理解しなければならない。
「私の73歳の母をはじめ、多くの人がWindowsの使い方を熟知しているので、いたずらに要素を変えるわけにはいきません」
Koehn氏によると、チームではこれを「チーズを動かさない」と表現しています。
「デザインに終わりはありません。それは旅のようなもので、私たちはこの時間を利用してお客様の声に耳を傾け、設計プロセスを継続しています」
元記事はこちら
httpsIn-house teams: a Microsoft design director on bridging industrial design and UX >>
以下は抜粋ですが、ブランディングとデザインの専門家の意見だそうです。
Facebookは嫌いだけど、新しいアイデンティティは嫌いになれない・・・という感じのようです。
「すべてのリブランドに言えることですが、新しいアイデンティティは、ビジョンと価値観の進化を表すものでなければなりません。彼らのビジョンは明確ですが、素晴らしい名前と実に魅力的なロゴ以外にも、もっと見るべきものがあればと思います。」
「漠然としていて広大なアンブレラネームで、彼らが参入しようとしている分野を網羅しています。その点ではスマートな戦略だと思います。持ち株会社がFacebookという名前を持つことは、限定的すぎて十分な効果が得られませんでしたし、Facebookという名前にはすべてのお荷物がついています。」
「長期的には何の意味もありません。とはいえ、このロゴはとてもクールです。メタバースのイメージを表現しています。」
「道徳的には、FacebookはやはりFacebookです。」
「名前として、そして戦略的なアイデンティティとして、それはシンプルで素晴らしい解決策です。GoogleがAlphaとBetaを合わせてAlphabetという社名を選んだように、MetaはFacebookが未来に向けて定義した野心的な計画にぴったりです。」
「Facebookは企業イメージの問題を抱えています。心の底では、これはリポジショニングの努力だと思っています。若いオーディエンスとの関係を取り戻す必要があるのです。」
Metaのロゴタイプは良いと思えないけど、シンボルマークは良いと思います。
Facebookのイメージカラーを引き継ぎながら、「無限」のイメージと「M」の字形を連想させる形態は適切だと思います。
また、別のtwitterで、下記の投稿を見かけました
「これに文句を言うのが流行ってますが…、私はスティーブンソンやギブソンなどを読んで育ちました。そしてメタバースのアイデアは何十年も私の心に残っています。この計画が合法的な行動を考えられない人の手に渡ってほしくないと思っています。・・・・申し訳ありませんが、 私が知りたいのは、最も影響力のあるインフルエンサーの意見ではなく、その話題で最も賢い人の意見です。」
メタバースのアイデアが正しく運用されてほしいと思います。
元記事はこちら
You might hate Facebook’s new name, but branding experts (mostly) love it. Here’s why >>
長い年月の膨大な仕事の積層は圧巻です。
イラストレーター/グラフィックデザイナーとして、それまで考えられていた仕事の範囲を大きく広げた人だと思ってます。大きく広げても、みんなが知ってるあのタッチで愛され続けたことは素晴らしいです。
作品ではなく注文される仕事として作り続けたのだろうという感じ。こういう仕事がしたかったと、憧れる仕事でした。
UXをデザインするときに起こりがちな「もどかしい現実」についての記事です。
UXデザインの真正性や信憑性に影響する事柄ですが、長い間受け入れられてきたそうです。
具体的には・・・
使われることのないリサーチ。
期待に沿わないという理由で棚上げされた調査結果。
安くて早いという理由でスタッフがユーザーのふりをして行うワークショップ。
デザインを改善するには遅すぎるタイミングでの検証。
・・・などのこと。
こういうことを「UX劇場(UXシアター)」と呼ぶそうです。
ユーザーをプロセスに参加させずに、あるいは単にショーのためだけにユーザーを参加させて、何らかのデザイン方法論を決めていくこと。
日本だと「茶番劇UX」「御手盛UX」「忖度UX」といったところでしょうか。
ユーザーもデザイナーもいないUXデザインのことのようです。
どうしてそういうことになるのか。
以下はいくつか抜粋です。厳しい指摘です。
「ユーザー中心設計を謳う多くのプロジェクトの表面を見てみると、実際にユーザー中心設計を行っているプロジェクトよりも、ユーザー中心設計のブランディングを行っているプロジェクトの方が多いように思えます。」
「誰もがユーザーの役割を演じているだけで、要件は架空のものなのです。その結果、ユーザーは使いにくくなり、時間やお金、プライバシーや安全性を犠牲にすることになるのです。」
「「UXデザインとは何か?」一般的には、ユーザーエクスペリエンスデザインとは、対象となるユーザーが製品やサービスを利用する際のインタラクションを定義するプロセスであるという点で一致しています。しかし、UXデザインの範囲をさらに定義しようとすると、プロダクトデザイン、デジタルデザイン、インタラクションデザイン、サービスデザインなど、さまざまな議論に発展します。」
「デザイン思考は、経営者が新しいサービスや製品の革新に向けて、より慎重なアプローチをとるためのコンサルティングツールとして開発されました。このモデルには5つのステップがあります。「共感する」「定義する」「アイデアを出す」「プロトタイプを作る」「テストする」。一見、堅実なアプローチのように見えますが、デザイン思考はユーザー中心設計の代用として採用されることが多く、ユーザー不在のまま社内で活動が進められ、結果的にUX劇場になってしまうのです。」
「UX劇場につながる2つ目の問題は、デザインが誰にでもできるものとして喧伝されていることです。・・・組織が「誰もがデザイナーである」という認識を持つと、ユーザーエクスペリエンスデザインは、熟練した実務家が主導するプラクティスとしては認識されず、誰もが実行できる思考プロセスとして認識されるようになります。」
「デザインを理解しないまま、デザインへの投資を最小限に抑えている組織では、デザインの成果や結果が乏しくなりがちです。最終的なデザインがユーザーのニーズを満たさず、クレーム、返品、悪い評価、さらには利益の低下を生み出します。その結果で、ユーザーエクスペリエンスデザインをさらに低く評価することになるかもしれません。」
「批判ではなく批評の視点からUX劇場にアプローチすれば組織の改善につながります。・・・テストやリサーチがどのように役立っているかを示すことができます。結果を広く共有し、デザインに関わる意思決定に意見ではなくデータを用いることを強化することができます。」
元記事はカナダ政府のユーザーエクスペリエンスデザイナーTanya Snookさんによるものです。
正直で力強い記事だと思います。ただし、UXデザインの信憑性や真正性を担保するためにすべきことが「ユーザーの参加」と「組織のリーダーの協力」だとしたら、UX劇場を終わらせるのは難しいような気もしました。
記事にあるように、会計や法律やまたは建築のように検証可能な明確なプロセスが必要な気がしました。
ユーザー調査のデータではなく、UXデザインのプロセス自体が信憑性や真正性を担保するようになるといいのかも。
元記事はこちら
UX design has a dirty secret >>
日本とオーストラリアのそれぞれで、自分たちが置かれた状況の嘆きや違和感が感じられる展示でした。
畠山直哉の陸前高田のシリーズは切実で力強かったです。
記録やメッセージとしての写真作品の展示を久しぶりに見た気がしました。
併催されてる「写真新世紀展 2021」を一緒に見ると、写真の役割のようなものが、より感じられておもしろかったです。
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