読んだことがないのですが『グラフィックデザインについて学んだルールはすべて忘れなさい -この本に書かれていることも含めて-』というボブ・ギルの著者があるそうです。
デザイン上の問題点を再定義し、独自の主張をすることが、独自の解決策につながるというのが彼の考え方だったそうです。
そういう彼のフィロソフィーについて紹介されています。
現代においても重要な考え方のように思えます。
「彼にとっては、アイデア(ソリューション)こそがデザインであり、常に第一の王者であった。・・・スタイルやテクニック、美的センスなどというものは、単に邪魔なもの、あるいは関係ないものだったのです。彼の第一の目標は、常にコミュニケーションの完全な明瞭性でした。」
「ギルにとって、どんなソリューションも、クライアントがそのアイデアを見ることなく、電話で説明できる能力があるかどうかが決定的なテストでした。」
「ギルの作品は、デザイナーには2種類あることを教えてくれました。美的感覚、つまりデザインはこうあるべきという考えに基づいてデザインするデザイナーと、視覚的なアイデアの独創性によって人々を立ち止まらせ、考えさせるデザイナーです。」
「彼のソリューションには、売り込みも説明も必要ない。彼の名前と同じように、彼の創造的な解決策は短く、簡潔で明快であった。若い美大生は、彼のそばにいて、彼がどんなデザイナーとどんなテーマで話しているのかを聞くだけで、多くのことを学ぶことができた。問題解決に対する冷酷なまでの評価で、彼はパンチを惜しまず、決して世間話をするような人ではなかった」
「デザインの流行や大衆文化の影響を嫌い、それを独創的な発想の障害とみなすギルは、反骨精神にあふれ、妥協を許さないデザイン革命家であった。デザイン思考を「皇帝の新しい服」のような装飾的なものにすることは、彼にとっては思考ですらないのだ。」
「2014年にBBCラジオのインタビューのためにギルと連絡を取ったが、彼の礼儀正しくも厳格に正確な物腰は、高齢になってもまったく衰えていない高度に調整された客観的な思考を映し出していた。数十年経った今でも、彼は相変わらず、自分のデザインに対する特異なビジョンを毅然とした態度で提唱していることがよくわかった。」
インターネット後のコミュニケーションに関するデザインの分野においては、こういう考え方が影を潜めつつあり、同じプラットフォームを利用したアレンジ違いでデザインするようになっているかもしれません。
ぜんぜん知らない本でしたが、ぜひとも読んでみたくなりました。
資本主義(キャピタリズム)に囚われたグラフィックデザインとデザイナーについての本のようです。
「○○としてのデザイナー」と題された4つの章で構成されているようです。
書評としてとてもいいと思います。
現代のグラフィックデザインを考えるうえで重要な本のようです。
日本語版の出版をお願いしたいです。
アルバムアートを手がけたアーティストのスタンリー・ドンウッドは、トム・ヨークの学生時代からの友人だそうです。トム・ヨークが楽しそうに紹介してます。
『Kid A』のレコーディング中とその直後に制作されたドンウッドのキャンバス作品6点が出品されるそうです。
アルバムのコンセプトとその世界観を担うアートワークを重視して、『Kid A』のレコーディング時にドンウッドがスタジオに招かれ、アルバムの雰囲気に合わせて絵を描くことになったそうです。
サウンドとその時代の不穏な雰囲気を反映した素晴らしいアートワーク。
The story behind Radiohead’s cover art: meet Thom Yorke and Stanley Donwood >>
IBMの社内に掲出された従業員向けのポスター。
ポール・ランドがIBMのコーポレートアイデンティティやポスターを手掛けていた頃のようです。
メッセージに明確でユーモアのあるグラフィックです。
IBMの2代目社長のトーマス・J・ワトソン・ジュニアは「Good Design is Good Business」と言ってたそうです。
企業カルチャーとしてデザインが根付いていくというのは、こういうことに現れるのかも。
The IBM Poster Program: Visual Memoranda by Robert Finkel and Shea Tillman >>
今年5月に92歳で亡くなったケン・ガーランドは、1960年代のロンドンの「スウィンギング・シックスティーズ」の時代から活躍してきた英国のグラフィックデザイナー。
1964年に発表した「First Things First」というマニフェストや、1966年の著書『Graphics Handbook』で知られています。
2016年のインタビュー記事が公開されました。
グラフィックデザインの思想的な指導者というイメージですが、謙虚で実務的な人物でもあったようです。
以下は抜粋です。
「1920年代、1930年代にドイツやスイスで行われていたデザインは、50年代に英国の我々が取り組んでいたことよりもはるかに進んでいた。私たちは、タイポグラフィ・デザインの夢の国に閉じこもり、前進していないと感じていました。私たちが追いつかなければならない仕事があることはわかっていました。ある意味では、私たちがやったことは、ヨーロッパやアメリカのベストと思われるものを模倣したものでした。」
「私と一緒に学んだ同僚の多くは、すべてをサンセリフ、できればヘルベチカにしたがり、私にはない絶対主義的な傾向を持っていました。私はすでに、グラフィックデザインへの一途なアプローチという考えを抑えていました」
スウィンギング’60sは、ロンドンのデザイン事務所の多くが急速に拡大した時代でしたが、ガーランドは常に小規模でありたいと考えていたそうです。
Ken Garland & Associatesという社名で、最大時に4人のアソシエイトを抱えていましたが、彼の平等主義的なポリシーで、プロジェクトは常に平等に評価され、大規模なクライアントを求めることはなかったそうです。
「常にデザインに関わっていたいと考えていた。秘書的な仕事をする人はいなくて、みんなデザイナーで、デザインをしていました。」
「私たちの世代は、デザインが好きで好きでたまらなかったのだと思います。確かに、大きなデザイングループを必要とするクライアントもいますが、小さなグループでできることは素晴らしいことです。」
KG&Aは常に彼の自宅にオフィスを構えていたため、規模を小さくすることができましたが、実は毎日の通勤を避けたかったことが主な動機だったそうです。
966年の最初の著書『Graphics Handbook』は、実用的なアドバイスが紹介されています。
表紙にはガーランドの印象的なタイポグラフィが使われていますが、この本はガーランドが自分の作品を人前に出すための本ではありません。
「デザイナーが自分の作品を見せて自慢話をするための本があります。私が考えていたのは、仕事をするための本でした。」
この『Graphics Handbook』は約3万部売れ、60年代後半から70年代の学生に、デザインの手法だけでなく、デザインのプロセスやデザイナーに必要なコミュニケーションスキルなど、貴重な指導やアドバイスだったそうです。
お金のない学生に考慮して、参考文献に「必須」「重要」「単なる有用」のマークを付けたそうです。
ガーランドは、グラフィックデザインの思想的なリーダーでしたが、『Graphics Handbook』では、別の側面についても触れています。
「それは、デザインに対する私の異なる姿勢です。ひとつは、何が要求されていて、どうすればそれを満たすことができるかという、事実に基づいた姿勢。もうひとつは、現在のグラフィックデザインの使われ方に影響を与えている社会的要請は何か、そしてそれをどうやって我々の望み通りのものに変えることができるかということです。」
グラフィックデザインを自分の欲求や社会的衝動に合わせてどのように変えていきたいかは、1964年に発表された「First Things First Manifesto」に端的に表現されています。この中でガーランドは、急成長するグラフィックデザイン業界の倫理観として「より便利で長続きするコミュニケーションの形を優先すること」を提唱しています。消費主義と広告の氾濫に対する警告は、いまも多くの若いデザイナーにとっての試金石です。
Ken Garland Was Graphic Design’s Moral Compass >>
The First Things First Manifesto >>
1978年、ニューヨークの美術学校のクーパー・ユニオンで、デザイナーのマッシモ・ヴィネッリと地図製作者のジョン・タウラナクによる、ニューヨークの地下鉄路線図の将来についての討論会が行われたそうです。
デザイナーや交通関係者、不満を持つ地下鉄利用者など、大勢の聴衆の歓声とブーイングの中で、ヴィネッリとタウラナク、そして8人の専門家が議論を交わしたそうです。それは、抽象的なものと現実的なもの、単純なものと複雑なものの闘いであり、形態とコンテンツの間の永遠の闘いでもあったようです。
昨年の夏、映像作家のゲイリー・ハストウィット氏が、これまで公開されていなかったイベントの記録を見つけました。その録音の記録と画像は『The New York City Map Debate』という新しい本にまとめられて今年の秋に発売されるそうです。ポーラ・シェアが序文を書いたそうです。
本物のデザイン議論。そこに一般市民も参加していたというのが興味深いです。
議論の背景には、とても大きなデザイントレンドの変化があったと思います。
現在に至ってはその議論をすべて飲み込んでアプリになったというのも、グラフィックデザインの変遷を示していると思います。
以下は抜粋です。
「これは日常生活に影響を及ぼさない、頭でっかちなデザインの議論ではありませんでした。何十年にもわたって、ニューヨーカーや観光客の移動手段、さらには街の見方を変えてきたのです。・・・地下鉄路線図は、多くのデザイナーが敬愛する象徴的なものであり、ニューヨークのデザインにも影響を与えました。」
「地下鉄路線図は、多くのデザイナーが崇拝する象徴的なものです。この論争は、70年代後半に起こったデザイン界のトレンドの変化の縮図でもありました。モダンミニマリズムからポストモダンマキシマリズムへの移行の中で、ヴィネッリの地図は巻き添えを食ったのです。・・・ヴィネッリは、混沌とした環境にデザインで秩序をもたらそうとしていました。地下鉄のサインや地図を使って、論理性や明快さ、明確なコミュニケーションをもたらそうとしたのです。・・・グラフィックデザインと案内表示を使って、街をきれいにしようとしたのです。今思えば、無駄な試みだったと思います。」
「ヴィネッリの1972年の地図は今では芸術作品とみなされているし、タウラナクの70年代後半のバージョンは今でも地下鉄の車内で生き続けている。」
「(タウラナクの地図は)地理的にはより正確になっているが、実際にはヴィネッリの地図にあった情報が凝縮されている。例えば、C線、D線、E線のような個々の鉄道路線をまとめています。これでは、個々の路線が運行されていなかったり、ルートが変更されていたりした場合に、それを伝えることが難しくなります。そこで、MTA(メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ)とデザイン会社のWork&Coは、タウラナクの地図の問題点を修正するために昨年アプリをリリースしました。これは、ヴィネッリとタウラナクの両方の地図の良いところを組み合わせたものです。」
Inside the design drama of a century: The fight over New York City’s subway map >>
New York Subway Map 1970-1972 >>
1971年からつづく映画広告の賞「Key Art Awards」の50周年を記念して、エンタテインメントマーケティング業界の著名人5名がエンターテインメントマーケティングを変えた50の映画ポスターを選んだそうです。
オーディエンスを惹きつけて売り込むための広告であり、映画を見る人の想像力をかきたて、壁に飾られ、偉大な映画を1枚の画像に凝縮したアートです。
こんな仕事してみたかった。
生涯で160を超える映画ポスターを制作したドイツのグラフィックデザイナー。
約60年にわたるキャリアを記録したデジタルアーカイブが公開されました。
シンプルで、明快で、力強く、洗練されてます。
黒澤明やゴダールの映画のドイツ版のポスターもカッコイイです。
「アートスクールを卒業後、配給会社のNeue Filmkunstに就職したヒルマンは、自由に創作活動を行うことができましたが、このアーカイブはその使命を果たし、ヒルマンの優れた業績とその多才なキャリアに光を当てています。ヒルマンは、第二次世界大戦後、印刷所にポスター用の書体がほとんどなかったため、当初は自分で切ったり描いたりした書体に頼っていた。しかし、1950年代に入り、暗室を持つことができるようになると、写真の要素を融合させた印象的なデザインを生み出すようになりました。」
膨大な点数の多様な表現が展開されてます。素晴らしいアーカイブです。
元記事はこちら
Discover Hans Hillmann’s extraordinary film poster archive >>
旅行会社Homo Travellusのポストカードシリーズ。
コロナ禍で家に閉じこもっている旅行好きの顧客へダイレクトメールで送らたそうです。
「熱心な旅行者の心に語りかけるために、私たちは旅行先と家庭での日常生活を結びつけました。象徴的なモニュメントの実際のデータと自宅における同等の体験を計算しました。」
例えば・・・
「万里の長城を歩くことを想像してみてください」
「庭を400万回歩くことを想像してみてください」。
デザインしたのは ギリシャのデザイン会社 SPUTNIK DESIGN TEAM
SPUTNIK DESIGN TEAM >>
Imagine Creates Post Cards That Reveal A Universal Human Truth Thanks To COVID >>
パンクスらしい、反骨精神溢れるインタビューです。
グラフィックデザインの行き詰まりと、その先について語っています。
「グラフィックデザインは死んだ」と言いながらも、グラフィックデザインの未来について悲観してはいないようです。
ネヴィル・ブロディはロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教えているそうで、そこで学生たちにどのように教えているかについても話しています。
以下は抜粋です。(いくつか理解が間違ってるかもしれません)
「グラフィックデザイナーの根底には、いくつかのジレンマがあります。
第1に、アルバイトをせずに、どうやって社会的に意義ある挑戦的な仕事をして食べていくか?
第2に、どうやってフリンジに立ってインパクトを与えるのか?
2つ目の質問の答えは「フリンジに立ってインパクトを与えることはできない」です。外側にいて何かを変えることはできないということです。」
「The Faceの仕事の最初の2~3年は、とてもチャレンジングなものとして見られていましたが、その後は、トレンディなものとして見られていました。それは私が望んでいたことではありませんでした。」
「私たちは、学生たちが慣れ親しんできたものが崩壊してしまうような、非常に脆く、根拠のないものとして『デザイン』を放置しています。学生たちは新しい考え方や新しい反応を開発しなければならないのです。私たちはロイヤル・カレッジ・オブ・アートでの指導を 『脱・規範(ポスト・ディシプリン)』と呼んでいます。あなたは単なるコミュニケーションの実践者です。ポスターや音響作品を作るかもしれないし、物理的な空間をデザインするかもしれないし、小説を書くかもしれない。伝えようとしているメッセージに応じた対応ができるような指導を心がけています。 」
「今はおかしな時代だと思います。『グラフィックデザインは死んだ』という見出しになるかもしれませんが、ある意味ではそうなのではないでしょうか?グラフィックデザインはPinterestとInstagramでしか見られない。」
「企業はユーザーエクスペリエンスデザイナー、コーダー、プログラマー、ソーシャルメディアマーケティングの専門家をますます必要としています。ロゴやブランド、ポスターやリーフレットなど、物理的なものはそれほど重要ではありません。ピザの宅配を除いて、ダイレクトメールをすることはもうありません。雑誌も手に入らない。そして、雑誌はもうデザインされていないのです。」
「テンプレートを設定して、それだけです。それぞれの記事を独立してデザインされているわけではなく、定型的なものです。バックエンドのエンジニアリングとフロントエンドのマーケティングがすべてです。グラフィックデザインは、書籍や出版物に多く見られる傾向があります。今では雑誌を手に入れることはできません。グラフィックデザイナーのためのグラフィックデザインという、それ自体が産業になるのです。」
「プラットフォームのためのテンプレートを構築したり、ビジュアル言語のためのツールボックスを構築したりすることの方がはるかに重要なんだ。雑誌の美しい見開きをアートで演出するというのは、今はもうありません。」
「『グラフィックデザイナー』という昔ながらのスキルの肩書きはもうアイデンティティではないんです。グラフィックデザインが死んでも、グラフィックデザイナーが死んだわけではありません。私たちの仕事の本質が劇的に変化したのです。・・・グラフィックデザインの最初の100年は、おそらくダダから始まって、コロナで終わったと思う。」
Neville Brody on Navigating Graphic Design’s Shifting Identity >>
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