先見者も、預言者も、ヒーローもいない未来への挑戦。

アルブレヒト・デューラー『芝』

私たちは皆、歪められたサクセスストーリーに酔っている・・・という指摘から始まって、その仕組みを説明して、そこから脱却するために洞察力が必要なことを紹介してる記事です。
若いときには、憧れの有名デザイナーの仕事についての記事を読んで自分も同じようになれると考えがちですが、それがどう間違っているのかわかります。
これは、マーケティング、ブランディング、ストーリーテリングなどについてのことでもあります。
目を覚まさせてくれる記事です。

元記事はとても長い文章です。下記は一部の抜粋です。

「自分の功績を一つの要因に還元することで、成功談を語る人は必ずと言っていいほど、出来事や結果を独占的にコントロールしていたと主張し(あるいは信じ)、自分の力を大幅に誇張します。しかし、どんな人も、どんな組織も、どんなビジネスも、自分が置かれている環境や文脈から切り離されて機能することはありません。成功の物語はすべて、複雑な要因の相互作用の物語です。その複雑さをひとつの変数やシンプルな格言に還元することは、ストーリー性のあるものになるかもしれませんが、たいていは無意味な練習になります。」

「・・・なぜなら、あなたは70年代のサンフランシスコのスティーブ・ジョブズではないからです。”Love what you do” ”Don’t settle” ”Stay Hungry. Stay Foolish ”という言葉は、私たちに暖かい気持ちを与えてくれるかもしれませんが、過去の個人的な成功についての膨大な不完全さは、他のすべての人にとっての将来の成功への最良かつ最も信頼できるガイドにはなりません。
実際のところ、成功者は自分自身の業績の信頼できない証人であるということです。そして、再現性のない過去からパターンを推定し、それを将来の成功のための普遍的な青写真として提示することは、知恵はおろか、有益なアドバイスにもなりません。」

「私たちは、メッセージの信頼性に関する情報よりもその内容に注意を払い、その結果、データが正当化するよりも単純で首尾一貫した世界観を持ってしまうのです。結論に飛びつくことは、想像の世界では、現実よりも安全なスポーツなのです。」

「・・・自称マーケティングの預言者の多く(ほとんど?)は、実際には未来を予測しようとはしていないということです。自分に有利なように未来を起こそうとしているのです。・・・「セールステクニックとしての予言」を利用して、自分たちが支配しようとする未来を形成したり、加速したりしているのです。 彼らのトリックは、自分たちが好む未来が必然的であり、望ましいものであると私たちに信じさせることです。そして、私たちは皆、それに乗るべきだと(そして、そこから利益を得ようとする彼らの計画に)確信しているのです。 」

「・・・言い換えれば、未来とは、ステージ、演壇、パネル、ブログ、記事などで言われているような、私たちが目指している場所ではなく、私たちの中の少数の天賦の才能が、他の人よりもよく見ることができる場所なのです。それは確率の集合体です。そのため、多くの人が考えているよりもはるかに未知であり、はるかに偶発的なものなのです。
ですから、もし私たちが予言や自作自演のサクセスストーリーや成功の方程式を受け取る側になったとしたら、細心の注意を払い、その誘惑に抵抗し、それに反論し、その信頼性を批判し、その方法論を引き裂き、冷酷に問い詰め、何が抜け落ちているかを考え…そして遠慮なく無視することをお勧めします。
実際のところ、私たちがどんなに彼らに憧れようとも、私たちに何をすべきかを教えてくれる司祭や英雄や預言者は存在しないのです。」

「もし私たちが自分自身で不確実性に立ち向かうのであれば、もっと明確に見る必要があります。」
「明確に見ることは、多様性を受け入れることでもあります。」
「多様なバックグラウンドを持つ人材を採用し、文化的な「適合性」へのこだわりを弱め、教義やイデオロギーではなく実験や探求の文化を奨励し、反対意見を積極的に求めることは、より質の高い会話や、より良く、より完全で、より正確なものの見方を促進するのに大いに役立つでしょう。」

「アルブレヒト・デューラーが「The Great Piece of Turf」を描いたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」のフレスコ画を完成させて、ミケランジェロが後に「ダビデ像」となる5メートルの大理石の塊を削っている頃だった。一方、デューラーの作品は、40.8×31.5cmと非常に地味なものでした。・・・・これは、地味な芝です。しかし、それは天啓です。これは『見る』ことです。(デューラーのこの作品は観察と自然研究にもとづいて描かれた絵画史の傑作です)」

「明確に見るということは、より良い質問をするということでもあります。」
「ドグマやイデオロギー(答えを知っているという確信)は、視野を狭め、チャンスや機会の幅を狭めてしまうものです。逆に、ドグマやイデオロギーを手放すこと(マーケティングでいうところの「ベストプラクティス」)は、視野を広げ、可能性の幅を広げることになります。」
「無知というのは、その使い方を知っていれば、それほど悪いことではありません。過去の経験から知っていると思っていることではなく、頻繁に無知の状態で問題に取り組まなければなりません。」

「私たちは、先見者、預言者、英雄を必要としません。他人の足跡をたどる必要はありません。誰かが予測した明るい未来に向かって走る必要もありません。他人の成功のレシピを適用する必要もない。私たちがすべきことは、自由を行使し、冒険し、注意を払い、心と目を開いて、真実を探し、受け入れる意志と勇気を持つことです。」

こういった記事そのものが認知バイアスなのでは?・・・という感じもしますが、全体を一読する価値はあると思います。

Martin Weigel | Visionaries, Prophets, And Heroes: Facing the future Without Them >>

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2021年10月11日 アイデア