「AWO」は、データの権利についてのコンサルティングや訴訟などを請け負う英国の法律事務所だそうです。
コードと詩をテーマにした静謐でミニマルな表現です。ディストピアではなく、ピースフルなデータ・ライツの未来を感じさせます。
静謐さは信頼感につながって、法律事務所らしいアイデンティティになってるようです。
法律事務所設立時のインスピレーションは 「All Watched Over by Machines of Loving Grace」 という 1967年に書かれた Richard Brautigan の詩だそうです。インターネットのユートピア的な理想を思い出させる、いい詩です。
All Watched Over By Machines Of Loving Grace」 >>
ブランドアイデンティティを手掛けたのは、Accept & Proceed というクリエイティブスタジオ。
幅広い仕事をしてるスタジオのようです。
元記事はこちら
Designing Data Rights >>
ポーラ・シェアがパソコン操作に苦労しながら、リモートでプレゼンしてます。
最近手掛けたプロジェクトを紹介して、視聴者からの質問に答えてます。
質問■ブランディングの最初のステップは?どんなリサーチから始める?
まずはクライアントの話を聞く。
クライアントの話のなかで、どうでもいいことと、プロジェクトに関わる重要なことを区別する。
プロジェクトを進めて行く段階でも、クライアント側の1~3人の人とだけ話し合うようにするらしいです。
大勢の人と話し合うようなミーティングはやめたほうがいいそうです。
質問■ブランディングデザインで犯しやすい失敗は?
エディトリアルデザインができていないウェブサイトが多い。
だれかのワーヤーフレームに合うように要素を並べているだけ。
そういう方法論を打倒することを目指すそうです。
20年以上前からよくある話ですが、たしかにそういうエディトリアルデザインを疎かにしたサイトは良いUXをもたらすこともなければ、ブランディングに貢献することもないでしょう。
ニューヨークタイムスのサイトのエディトリアルデザインは良くできてるそうです。
元記事はこちら >>
Paula Scher shares the most common mistakes she sees designers make on branding projects >>
圧巻の3Dビューです。
エジプト観光局のコンテンツです。
ライティングもいいです。
人間が作ったものと思えない感じ。
Wieden+Kennedy アムステルダムの企画部長のMartin Welgel によるコロナ後の広告業界についての記事です。
コロナ禍はこの社会の脆弱性を明らかにして、もう過去の状態に戻ることはない。
この変化を受け入れたうえで、広告クリエイティブは自分たちは何ができる何者であるかを再定義する必要があると言ってるようです。
広告業界の毎度よくあるモチベーション上げのストーリーのようでもありますが、正しい方向を指している気もします。
以下はおもしろかった箇所の抜粋の翻訳です。(少し間違ってるかも)
実際のところ、私たちができる最も価値のあることは、(良い)クライアント企業がビジネスを継続し、人々に頼りにしている商品やサービスを提供し、法人税を支払い、人々に有意義な雇用を提供するのを支援することです。
デタラメを言う人たちは商業経済の銃で脅されて、ポケットにはインスタグラムのアカウント以外何も残っていない状態で立っている。
ローレンス・フリードマン教授は、「戦略」を 「スタート時のパワーバランスが示唆する以上に、状況から多くを得ること 」と定義しています。
強力なブランドは、顧客の嗜好性を維持し(リピーターになる)、価格弾力性を低下させ(人々はより多くのお金を払いたくなる)、小売業者の嗜好性を生み出し(流通を確保する)、新たなオプションスペースを創出し(将来の価値の新たな源泉を開く)、などにより、将来のキャッシュフローを生み出すのに役立ちます。
創造性は死んでいない。
私たちは何を加速させることができるのかを問うべきなのです。何を照らすことができるのか?何を標準化できるのか?何をスケーリングすることができるのか?
そして逆に、私たちは何を促進し、照らし、正常化し、拡大することをやめるべきなのでしょうか?
希望とは緊急時にドアを壊す斧だからです。希望はあなたをドアの外に押し出すべきだからです。・・・希望は行動を求めます。希望なしに行動は不可能です。… 希望を抱くことは、未来に身を委ねることであり、未来へのコミットメントは、現在を居住可能なものにする・・・
90年代のパロアルト研究所の「ユビキタス・コンピューティング」から発展したテクノロジーと人の穏やかな関係性を目指した「アンビエントコンピューティング」の理想と、現在のスマホがもたらしたUXの現状についての記事です。
90年代のビジョンが蘇る感じです。「アンビエントコンピューティング」の視点から見たときに、現在のスマホ社会がどう見えるのか、なかなか興味深いです。
そしてまた、デザインが間違いをしているという気がしてきます。
2007年頃に読んだ「アンビエント・ファインダビリティ」という本を思い出しました。
あの本がこういうアイデアを下敷きにしていたことを初めて知りました。いままた、こういうアイデアが必要とされているようです。
以下は、部分的な引用です。おもしろいです。
1990年代半ば、米ゼロックス パロアルト研究所の研究者グループは、情報の波が押し寄せる中、私たちの脳を守るためにはどうすればよいかを考えていました。彼らのアプローチを「Calm Technology(穏やかな技術)」と呼び、その主な目標は、テクノロジーがどこにでもある時代に、設計者や技術者が、いかにして私たちの注意をより少なく、より多くの注意を必要としないハードウェアやソフトウェアを作ることができるか、ということでした。
彼らが望んだ未来は、私たちが受け取った未来ではありませんでしたが、近年、テクノロジー企業が長年にわたって私たちの注意を収益化することで与えてきたダメージの一部を回復させるため、落ち着いたテクノロジーの古い原則が新たに復活しました。
「アンビエントコンピューティング」の初期の例は、Calm Technology の力についての重要なポイントを証明しています。すべての情報がすぐにあなたの注意を引く価値があるわけではありませんが、情報は必要なときに必要なだけそこにあるべきなのです。さらに重要なのは、人間はテクノロジーといつ、どのように関わりたいかを決めるべきであり、その逆ではないということです。
これは、ブラウンと彼のチームが当時積極的に考えていなかったことです。「私たちは、テクノロジーの良い使い方についてはロマンティックに考えていましたが、テクノロジーの悪い使い方については真剣に考えたことがありませんでした」と彼は言います。「もちろん、問題の一部は、今日のデジタルツールが複雑になっていることですが、それは、私たちが常に何かの方法ですべてのものに広告を重ね合わせているからです。・・・」
人々は、画面に釘付けにされた目を維持するために意図的に作られた説得力のあるデザインの選択のおかげで、彼らのスマートフォンやアプリに ”中毒 ”になった。民主主義は衰退しました。私たちの家は、私たちが注意を払うことを要求するデバイスで溢れています。
「Calm Technology(穏やかなテクノロジー)」の核心的な信条である「ユーザーの時間と注意を尊重してデザインされたプロダクト」は、イメージ回復を狙う企業のマーケティングに最適なコンセプトです。
「私たちはテクノロジーが問題を解決するとは考えていませんでした。私たちは常にテクノロジーは物事を複雑にする要因として捉えていました。」
それでも、思慮深いデザイン、つまり冷静なデザインは探求する価値があります。そして人々はすでに始めています。Case氏は著書の中で、デジタル製品に「落ち着き」の感覚を吹き込むための実行可能なステップを概説しています
【元記事はこちら】
Calm Technology Is Staging a Comeback—Can Good Design Make it Stick? | AIGA Eye on Design >>
コロナ禍での財政難もあったようですが、白人中心で閉鎖的な組織運営は非難されてもいたようです。
下記のリンクのインタビューを見ると、すでに存続させる意思も薄くなっていたような印象です。
こういうデザイン組織はこれから難しくなりそう。
One of America’s most prestigious design organizations shuts down amid allegations of racism >>
無意識のバイアスについて、それらが行動にどう影響するのか、職場でどう影響するのかについて理解するeラーニング。
社内向けのようですが、外部から閲覧できるようになってるようです。
すばらしい内容です。途中で流れるビデオもよく作ってあります。
Microsoftで働いてみたくなります。
MicrosoftのOSは世界中の言語をサポートしようとしていると聞いた記憶があります。
だれも平等にPCを利用できるようにするという使命を持って、もうすぐ失われであろう少数派の言語も含まれているとか。
そういうところは素晴らしいと思っているのですが、正直なところ、Microsoftの製品は積極的に好きにはなれません。
プッシュ・ピン・スタジオからの永年の活躍は、世界中のグラフィックデザイナーの憧れだと思います。
システムに則ったルールが重視されるビジュアルデザインの現状では、60年代や70年代にミルトン・グレイサーのやっていたことをもう一度参考にしてみるのもいいかも。
91歳だったそうです。
httpsMilton Glaser, Master Designer of ‘I ♥ NY’ Logo, Is Dead at 91 >>
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グラフィックデザインの神様、ミルトン・グレイサーのインタビュー映像 >>
ミルトン・グレイサーが語る、クラウド・ソーシングでデザインを決定することがどのようにデザインをダメにするか >>
ミルトン・グレイサーのインタビュー映像「あなたは、義務としてデザインしているのか、それとも自然な習慣としてデザインしてるのか?」>>
IDEOの有名なメソッド「デザイン思考」についても、デザインによる問題解決の大部分が白人のアプローチであると指摘されているそうです。デザイン産業の構造についても批判されているようです。
IDEOがツイッターに掲載した謝罪文は、「制度的人種差別はデザインによるものです。」という言葉で始まっています。これは重要なことだと思います。
正直なところ、自分がこの問題を正しく理解できているか自信がありませんが、いま起きている社会の変化のあとには、20世紀からのデザイン論は生き残れないのかも。
以下はツイッターに掲載された謝罪文です。
制度的人種差別はデザインによるものです。黒人は何世紀にもわたってこの現実と共に生きてきました。ジョージ・フロイドが苦しんでいるのを見て、残りの社会が目を覚ますのに8分46秒かかるべきではありませんでした。
IDEOでは、社内でも、より広い世界でも、私たちは十分に耳を傾けていませんでした。この2週間、同僚や皆さんからいただいたコメントに感謝しています。
先週インスタグラムで反レイシズムのリソースを共有したとき、それは白人の罪悪感を中心にしたもので、それは間違っていました。私たちははっきりと言うべきだった。Black Lives Matter.(黒人の命を軽んじるな)
IDEOはデザインのリーダーとして問題の一端を担ってきました。私たちには、新しいシステムをデザインする一員としての責任があります。私たちの価値観、人間関係、そしてデザインそのものについて再検討するまで、私たちに成功はありません。
私たちは、完全に謙虚に立ち、白人の特権と向き合い、人種差別のシステムを維持するために私たちが社会化されてきた方法を学び直すために、会社として私たちの先にある長い旅路を認識しています。
私たちの旅のこの時点で、私たちはより公平な組織に向けて努力することを約束します。
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デザインを脱植民地化するとはどういうことか? >>
p5.jsに触れるようになって、ドローイングについての理解とか見識とかに確固たるものが必要な気がして見てきました。ひさしぶりの展覧会。
彫刻に根差した戸谷成雄のドローイング理論はとても興味深く、チェーンソーによる彫刻作品は空間とドローイングのつながりを理解できる明快さがありました。
草間彌生の50年代のドローイングは(本当は全然違うと思いますが)スクリプトによる描画の方法論のようでした。
なんだか勉強になった気がします。
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