心に響く話です。
だれかの創造性に触れるときには、創造性を示してくれたその人に敬意をはらう必要がありそうです。
クリエイティブでないことを恥じたり、クリエイティブであることに臆したりすることは、見えない大きな損失です。
そして、創造性と愛は、扱い方が少し似ているのだ(大袈裟)
David Kelley についてはこちら。
大火災はまるで「平治物語絵巻(三条殿夜討の巻)」のようです。
スゴそう。
90年代に、大友克洋の映画のデモ版を見たことがあります。
当時のMac(今に比べてスペックが低い)でほとんど手作りのように制作されたもののようでしたが、驚愕した記憶があります。
「私たちは実生活を損なうほど、スマートフォンに注意を向けなくてはならない。」という指摘があります。
スマートフォンなどの、ユーザーの注意を向けさせて操作を促すためにビープ音を鳴らしたりチカチカ光ったりする振る舞いは、ユーザーを疲弊させているようです。
受け取る情報が増えて、さらにリアクションすることが増えると、一つ一つの情報に一つ一つの操作で答えるようなことは、ユーザーが工夫を重ねても、いずれ不可能になりそうです。
私たち自身が処理しきれないほどの量の情報に埋もれながら、そこから私たちが何かを判断・決断するとき・・・(これから、そういうときが増えると思うのですが)私たちを助けてくれるようなインターフェイス、ユーザーエクスペリエンスは、どういったものでしょうか?
一つ一つの情報についてのリアクションではなく、関連する多くの情報の「総体」の傾向を判定してリアクションできるようなインタラクションは有り得ないでしょうか。
また、「意思決定」に臨む私たちを、手助けしてくれるようなユーザーエクスペリエンスはないものでしょうか?
こういったインターフェイスやユーザーエクスペリエンスを考えるヒントがありそうな本がこちら。
「アンビエント・ファインダビリティ」
http://www.oreilly.co.jp/books/4873112834/
「モノのインターネット」を踏まえてもう一度読んだら、なんだか、違うヒントが読み取れそうな気がしてます。
昨年、ギャラリーにヘルムート・シュミットの展示を見に行ったら、ご本人がいらっしゃいました。
作品から受ける厳格で寡黙な印象とはちがって、サービス精神のありそうな、楽しい話を聞かせてくれそうな方でした。
見に行きたいので、メモとして
『朗文堂NEWS』
http://www.robundo.com/robundo/blog/
ちょっと欲しいかも。
もっと幅が狭くてもいいかな。
$200,000を目指す資金調達で、すでに$500,000以上集まってるようです。
製品が増えて統一を失ったパッケージのアイデンティティを、なんとか統一しようということでしょうか。
それが結局エコなんだということのようです。
製品が多岐にわたる大きなブランドこそ、こういう取り組みを頑張ったほうがいい気がします。
ところで、このパッケージのキャップはどう開けるんだろ?
ダイナミックでかっこいいです。
とくにダンスに関連した作品がお気に入りです。
PVやCMよりも、大きな会場でのインスタレーションが迫力ありそう。
こちら
http://universaleverything.com/
メモがわりに・・・
実現していたら・・・と考えると楽しいです。
“モダニズムの夢” といった感じです。
ブラジリアや21世紀のドバイのようでもあります。
Architecture and Design Museum の展示の告知映像のようです。
http://aplusd.org/exhibitions-future/neverbuilt
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