小さなカップとシンプルなパーツでできているようです。
よく考えられた、キュートなデザイン。

製品化にむけて、出資を募ってるようです。
くわしくはこちら

なるほど。あの曲は、この色だ。うまい。

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つくったのは『CHIC & ARTISTIC』
http://chic-artistic.com/#pantonroll/

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人気雑誌の舞台裏が少し見えるようで、おもしろいです。

でも、ウェブ展開については、消極的でいらっしゃるようで・・・
“ウェブを否定はしないけれど、お金を出して雑誌を買うという行為と、無料でウェブを見る行為は違うと思っています。「優劣」じゃなくて、「種類」が違う。僕らがやっているのは「立ち読みされた上で、630円で買ってもらう」というビジネスだと思っています。”

自分の心情でも、「無料」のウェブがあるために「お金で買う」雑誌のハードル(期待値)が上がりすぎてる気もします。

現在の私たちは「なかなか上手くできてる」というレベルの無料の制作物の氾濫に溺れて流されているようです。

たしかにウェブは、断片化した情報とノイズによる巨大な「ヤミ鍋」のようなものかもしれません。「編集」に重要な「文脈」を成立させるのが困難かもしれません。

しかし、この点についてウェブは、これから新局面に入ってゆくように思います。そのときには、どうかオモシロくしてほしいです。

『BRUTUSが陳腐化しない理由とは? 西田編集長に聞いてみた』
http://tokyo-edit.net/archives/23093754.html

2013年2月6日 アイデア

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80年代前半のデザイン。
FrogDesignが提唱した「スノー・ホワイト」のコンセプトでしょうか。

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当時、衝撃的に斬新だったことでしょう。

いま見てもキュートです。

FrogDesignの創設者Hartmut Esslingerの本『DESIGN FORWARD』のなかで紹介されてるようです。

詳しくはこちら

ダッジ ラムのトラックのCM。

Kurt Markus 、William Albert Allard などの写真家の作品に、ラジオナレーターPaul Harvey の1978年の有名なナレーションがつけられているそうです。
シンプルで、ロマンチックで、力強いです。

元ネタはコレだそうです。

何が「リアル」なのかっていうのもありますが、そういうことするのもまた “広告” ですかね。

Paul Harvey のナレーションの文章はこちら

美しいイラストのアニメーション。
内容は深刻な問題ですが、見入ってしまうくらい。

制作したのは『This is Studio』
http://thisisstudio.co.uk/

2013年2月5日 映像・映画

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タブレットの出荷台数が PC のそれを上回り、米国では印刷媒体のメディアがウェブメディアに変わろうとしてる昨今、ウェブサイトデザインの5つの指針だそうです。

1. “アプリに似た”ユーザー体験を創造せよ

2. サイト上の雑多な要素を削減せよ

3. サイトをスリム化しスピードアップせよ

4. ソーシャル共有をもっと掘り下げよ

5. 広告体験をコンテンツ体験へと統合せよ

『BLOG ON DIGITAL MEDIA』

なるほど・・・。
「シンプル」で「ネイティブ」で「レスポンシブ」ってことでしょうか。

メディアサイトや企業サイト なども、いままで蓄積した情報をどうやってリフォームして再利用して価値を生み出すのか・・・考え始めるときかも。

広告ビジュアルを積み上げたようなルックスのサイトは、ホントにもうダメかも。

仕事の帰りにクルマを運転してる。

家に帰って夕食を作ろうと考えるが、冷蔵庫に何が残ってるか思い出せない。

カーナビを利用して
「いま冷蔵庫にあるもので、できそうな料理」
を検索する。

検索結果から夕食の献立を決める。

冷蔵庫のなかのものだけでは足りない食材がリストアップされたので、
買って帰ることにする。

カーナビが、買うべき食材を安売りしてる近くのスーパーマーケットへリルートしてくれる。

(以上、まったく個人的な想像です)

最近、クルマにSiriが搭載されるニュースを聞いて、こんな未来もくるのかな・・・と。
でも、ずっと前からできそうな気がしてるものです。

自分の冷蔵庫の中の食材とスーパーで売ってる食材と作ろうとしてる献立のマッチング(笑)

ひょっとしたら、もっと賢い方法もあるかも。

2013年2月4日 アイデア

無料で観れる6分あまりのサイレント短編。
すばらしい。

2013年2月3日 映像・映画

Crowdsmashing

デザイン批判をするときの視点とか、新しいデザインが受け入れられてゆくプロセスとか・・・そういうことのヒントになるかも。

「スポーツ観戦のようなグラフィックデザイン批評の弊害」で紹介した、Michael Bierutが紹介していた別の記事が興味深かったので、なんとか日本語にしてみました。

文字通りだと「袋叩き」ということで、アメリカの人はだいぶ保守的なんだなー、とも思えますが、よく読むと違う側面が見えてくる感じです。日本の「炎上」とも少し違うようで・・・。

<以下は意訳です・・・(正しくないかも)>

人々に嫌われてカリフォルニア大学の新しいロゴは撤回されました。でも悲しむことではありません。
デザインされたU字型にCのロゴは、ユニコーンのウンコを擦りつけた大きなストラップレスドレスのように見えました。しかしながら、これを大きな騒動にした「憤慨(outrage)」は注目に値するものでした。

『クラウドソーシング』がクラウドで何かを作ることなら、ここには『クラウドスマッシング』とも言える現象が現れています。
2010年のGapロゴ、2012年のオリンピックロゴ、SYFYのブランドアイデンティティ・・・。これらのロゴやリブランディングの何かが暴徒を憤慨させました。

憤慨はどうして起きるのか?「ひとは変化を嫌うから・・・」というのがよくある答えです。しかしAaron Badyの最近のカリフォルニア大学ロゴ騒動についてのエッセイによれば「このような軽蔑的な批判は私たちの悪い癖なだけでなく、私たちは変化を恐れてわけのわからない反応をしている。」だそうです。
よくあることですが、新しいもの(もっと小さなタブレットPC、もっと大きなスクリーンのiPhone、バットマンの新作映画、江南スタイルとか・・・)が好きな人でさえ、変化に対してはそういう反応をします。

人々が嫌うのは、変更の目的が説明されないまま変更を強制されることです。

ここで、ブランドをシンボルとか広告キャンペーンでなく、ロゴに目がついた小さなホムンクルスとして考えてみましょう。彼らは私たちの肩の上にいて、私たちの耳に一日中ささやきます。「おなか空いてるでしょ。サブウェィのフットロングが充たしてくれますよ。」「Macが遅でしょ。新しいMacを買うとハッピーですよ。」なんてストーリーを話します。
これらのストーリーでは、あなたが主人公で、ブランドはあなたをサポートするキャラクターです。

人々はこういうストーリーを変えられて台無しにされるのを嫌います。
今後も続くことを期待していて、その期待していた連続性が裏切られると(ディランがエレキに転向したり、いいTVドラマのシーズン2とか・・・)外的な差し障りよりも、内面に不安と怒りを感じます。
それが些細なことであったとしても、ずっとわだかまります。

Logo outrage(ロゴについての憤慨)は、ブランド・ストーリーがダサくなった瞬間におこります。(たとえば、ルーカスがオリジナルのスターウォーズに3DCGを導入したときのように)それは記憶を台無しにして、未来を台無しにすることになるからです。(未来の計画には過去の記憶が必要ですから。)もう一度スターウォーズを見ても最初の楽しさは損なわれています。学校にユニコーンのウンコがついてたら、カリフォルニア大学サンタクルーズ校同窓会に出席するのも同じように楽しさが損なわれます。
これは、色やカタチが変わったからではなく、期待していた連続性が奪われたからです。「もう怒った! グラデーションなんか金輪際いらん!!」と叫びたくなるのも当然です。

こういう「バートルビーイズム」(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/バートルビー)は最近のことです。私の父がテレビでスペリーとバローズがユニシスを作るために合併したのを見たとき。「なんてこった」「最悪だ!」と言いました。なぜ彼がオフィスオートメーションの合併にそのように立腹したかわかりません。彼は英語の先生で、私はまだ12歳でした。
いまではインターネットのおかげで、同じ意見を持つ人達をみつけて一人でイライラすることはありません。「これ嫌いな人いる?」と質問すると、即答が返ってきて、ダサいブランディングで人生をメチャメチャにされると感じてる仲間をお互いに見つけて、懐かしのロゴを悼むのです。

元記事はこちら
http://nymag.com/news/intelligencer/logo-rebranding-2012-12/