未知のデザインに臨むときの、面白いケーススタディのように思えます。読みにくくて、誤解もありそうですが、ざっくりと訳してみました。

■スマートウォッチは小型のスマートフォンではない。
スマートウォッチを小さなスマートフォン、またはスマートフォンのサブ画面と考えるのは、意義ある違いを考慮しないという点で間違いです。
小さくても、重要な違いをかんがえてみよう。

人間工学的には、スマートフォンは「携える」けどスマートウォッチは「着ける」という点です。

情緒的には、スマートフォンは「道具」とみなされますがスマートウォッチはおもに「装飾」とみなされます。

そして、ユーザーとのインタラクションにおいては、スマートフォンは使わないときもあるけど、スマートウォッチはいつでも動いている。

これらのことから、ウェアラブル・デバイスの在り方や使われ方のユニークな特徴を考慮して、「モノ」としてもインタラクションとしてもデザインされるべきで、スマートフォンのサイズ違いの別モデルをつくることではありません。

■ウエアラブルは着ける人のためだけではない。
ウエアラブルは一般化していくでしょうが、いまは目新しく、そのデバイスとそれを着けている人が注目されます。しかしながら、スマートウォッチは「機会」を提供します。スマートウォッチの可視性は他人と情報を共有しやすくなるでしょう。

(注)どうやら、電話よりも時計の方が他人に見せて情報共有するということのようですが、これは文化の違いもありそうです。

■あなたの身体は人間工学と同一ではない。
片腕に時計を着けて、もう片方の手をその時計に添えて操作するのは、難しい動作ではありませんが、何度も繰り返すのは煩わしいでしょう。
デザイナーは、この点も心に留めておく必要があります。

■小さな画面と大きな画面は似ている。
驚くべき事に、ウエアラブル・デバイスの小さな画面は、タブレットのようなサイズの画面サよりも、テレビのような大きな画面と共通点が多いです。
情報の発信者であるよりも、主に情報の受け手になり限られた情報に依存します。

(注)この共通点は興味深いです。PCに比べればタブレットも受け手のデバイスでしょう。受け手のデバイスは限られた情報源に依存するユーザーを増加させてるのかも。

■視覚と触覚は等しい
スマートフォンにおいては視覚が優先されて、触覚はそうでもありません。振動は見る事を促すための合図です。
逆にスマートウォッチはユーザーが見ているか否かに関わらず、情報を表示し続けるようになるでしょう。

(注)この振る舞いは「時計」に相応しいです。ウエアラブル・デバイスの定義になる気がします。しかも、常時接続でしょう。

しかし、ウエアラブル・デバイスは皮膚に接しています。触覚によるフィードバックは有効でしょう。結果を知らせるフィードバックとして時には視覚的なディスプレイよりも有効でしょう。

(注)不要にチカチカ光ったりするよりも良さそうですし、クルマの運転中とかにもいいかも。

——スマートウォッチがもたらすデザインの文脈は、ユーザーにまったく新しい感覚と振る舞いをもたらすのかも。それを、既存の体験の範疇のなかでデザインしようとするのは、残念な製品とユーザー体験をもたらすことになりそうです。

くわしくはこちら
http://www.fastcodesign.com/3022457/5-surprising-principles-for-designing-smartwatches

2013年12月5日 アイデア

おもしろそうです。
これで年賀状作りたいです(笑)

もう少し何か改良すると、ずっと上手く刷れそうな気もする。

http://www.stampomatica.com/

2013年12月1日 ツール

design_museum_japan

このプロジェクト、うまく進んでほしいです。
後援や協賛なんかも豪華なことになってるようですので、アベノミクスとか東京オリンピックとかで、はずみがつくかな?

日本のデザインミュージアム実現に向けて展
http://www.2121designsight.jp/program/design_museum_japan/

国立デザイン美術館をつくる会
http://www.designmuseum.jp/

2013年11月30日 デザイン

この大人げないキャンペーンが、けっこう好きです(笑)
こんなマグカップも販売してる。
「データを盗んでるのあいだは、静かにしてください。」

scroogled_mag

このキャンペーンを担当してるのは、ヒラリー・クリントンの選挙ブレーンだった人だとか(苦笑)

「学習というのはたいへんな作業なので、ユーザーのやりたいことではない。そんなわけで彼らはデザインについては最低限のことしか学習しないため、知識レベルは長年低いままで留まってしまう。学習曲線はすぐに平らになってしまい、その後、ほとんど変化しなくなるのである。」

多機能が素晴らしいことで、機能を有効に使いこなすのが熟達することだ・・・という考え方は、ちょっと20世紀的な気もします。

機能もサービスも「触り心地」のようなものを楽しむようなものになってくのかな・・・。

ユーザーの知識の停滞を少しでも軽減する方法も紹介されてます。
それが有効かどうかは、わかりません。

くわしくはこちら
http://www.usability.gr.jp/alertbox/stagnating-expertise.html

2013年11月26日 アイデア

すばらしいクオリティ。
根気よく調べて、説得力ある演出。

キュートな3Dグラフィックの魚のアニメーションもセンスいい。

2013年11月25日 映像・映画

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エスリンガーは81年頃にはSONYの仕事をしていて、技術者といくつかのプロトタイプを作ったけど、経営陣は興味を示さなかったとか・・・。

82年のシリコンバレーのパーティでApple IIの設計主任だったRob Gemmellに「スティーブ・ジョブズに会うべきだ。クレイジーな男だけど、ワールドクラスのデザインをアップルに持ち込みたがってるよ。」と言われた事が始まりだったそうです。

記事内に出てくるいい言葉・・・
『structurally determined mediocrity』
「構造的に決定された凡庸さ」とでも訳すんでしょうか。

当時のAppleは(家電メーカなどと同様に)「構造的に決定された凡庸さ」に苦しんでいました。

エスリンガーはジョブズとはじめて会ったときに「ワールドクラスのデザインは「構造的に決定された凡庸さ」は機能しない」と言って、あらゆるデザインに大きな権限を持ってデザイン言語をアップルの精神にどう沿わせるかを決定する、デザイン・リーダーの必要性をジョブズに説いたそうです。

一方、ジョブズは「とんでもなく優れた製品こそがアップルを変革していく」と信じていて、「まずはMacintoshを100万台売りたい。それからアップルを世界最高の企業にしたい。」と言ったそうです。

起業家とデザイナーの素晴らしい関係。

くわしくはこちら
http://designmind.frogdesign.com/blog/my-way-to-steve.html

それから、
ハルトムット・エスリンガーはこんな人
http://designers-union.com/blog/archives/1743

2013年11月25日 アイデア

exxon-logo-sketches-loewy

18の案のうち1点に「OK」という印。
なんか歴史的瞬間だったような気もする(笑)
ローウィーは鉛筆描きの76点のラフを提示したそうです。

「エクソン」という名前もローウィの提案。
旧社名「ESSO」から「EXXON」という社名を提案したのは、二重になる綴りで旧社名を想起させて、新しい社名への移行をスムーズにする狙いだったとか。

さすが・・・

おもしろい記事。

http://thebridge.jp/2013/11/why-japanese-web-design-is-so-different

他にもいくつか理由を挙げることもできそう。
90年代から何度か聞いたことのある話だけど、あまり変わってないようです。

ウェブの重要性はどんどん増しているのに、日本ではウェブデザインが体系的に理解されないままになってるかも。
お国柄とか環境とかが原因なだけでなく、本当の意味でデザインをするデザイナーが不在のままになってるかもです。
これだけオープンなウェブの世界で日本発のデザイン理論とか・・・あったかな?

個人的な印象としては、2004年頃までデザイナーの試行錯誤が多く見られたけど、CMSが一般化して以降は、淘汰されてしまった気がする。

オリンピックとかで景気が良くなったら、また変わるのかな。

2013年11月19日 ウェブサイト

そういう仕組みで鳴るんですねー。
荘厳な音。

viola_organista_da_vinci

2013年11月19日 音楽