イエス・キリストが絵を描いていた話

絵画TVの岡崎乾二郎さんの対談を見ていて「そうだったのか」と思ったので・・・

聖書にある、キリストが姦淫の罪の女を救う物語・・・
http://ixthus.exblog.jp/6436388/

そのなかでキリストは地面に何かを描いていたとあります。
文字を書いていたのか、絵を描いていたのか、よくわかりませんが・・・ここでは絵(ドローイング)を描いていたとして・・・勝手にイメージを膨らましてみます。

姦淫の女の罪を責めるパリサイ人はモーゼの律法に従って、この女を石打ちの刑にすることをイエスに詰め寄り、イエスの答えを試します。

このとき、パリサイ人は、モーゼという権威による体制(システム)の論理で思考・行動しています。

ここでイエスは地面に絵を描いています。(たしかに奇妙です)
「何を描いていたのか」はわかりません。
おそらく「何を描いたか」は重要ではなく「何かを描いていた」ことが重要なのでしょう。

ドローイングのような「描く行為」は、自身と向き合うことであり、内面の発露であり、瞑想のようなものかもしれません。そこにはひとりの人間の心、精神、魂、感情・・・などの「私的領域」が表出します。

パリサイ人はイエスを陥れようと、イエスに答えを迫ります。
イエスの周囲にいた人々は、体制(システム)の論理で思考して、イエスの答えを待ち、イエスに人々が注目します。

ここで人々は「何かを描いているイエス」と「イエスが描いてる何か」を「鑑賞」することになり、「私的領域」の存在を想起させられることになります。

こうして、人々の意識では、体制(システム)の思考と「私的領域」のふたつが並立します。

そしてイエスは、
『あなたがたうちで罪のない者が、最初に石を投げなさい。』
と言い、人々に「私的領域」での対応を迫ります。
人々はそれを聞いて、年長者からひとりひとり立ち去って、最後はイエスとその女だけになります。

勘違いもあるかもしれませんが、アートと社会についての、興味深い解釈だと感じました。
本当はもっと深い解釈があるのかもしれませんが・・・。
(宗教の教義の知識不足は、どうかご容赦下さい。)

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2013年1月31日 アート