「湘南ビーチFMマガジン」の表紙を描いているそうです。湘南ビーチFM開局30周年記念での短期間の展示です。
80年代を代表するビジュアルイメージが、湘南ビーチFMによく似合っています。
原画もいいですが、印刷されてこそのイラストレーションだという気がしました。
神奈川県逗子市にお住まいで、自分の住む地域に根ざした仕事を続けているというキャリアには、憧れるものがあります。
長くウェブデザインに携わり、クリエイティブ・ディレクターでデザイン・システムのコンサルタント会社の経営者でもあるダン・モールさんのブログです。
ウェブデザインを取り巻く環境が変わってきたことについての記事です。共感できるものがあります。
以下はいくつか抜粋です。
「最近の数年間は、ウェブサイト制作に費やす時間はかなり減っている。ウェブサイトを制作するチームを管理するようになり、私自身の手仕事が減ったという意味だけではない。それもありますが、概してプロジェクト自体が小さくなっています。」
「デジタルデザインは常に刹那的だ。新し物好きの私は、そこに惹かれた(そして今も惹かれている)。しかし、誰かが0.5秒でスクロールして通り過ぎるようなアニメーションに6週間も費やすのは、何か違う気がする。」
「最初の頃は、ウェブデザインのミシュラン星付きシェフになろうと思っていた。・・・いくつかの食事はファーストフードであった。しかし、ほとんどの食事はシンプルでおいしい家庭料理だった。新聞の批評を書くようなものではないが、ほとんどのゲストは満腹で幸せだった。」
「ミシュランの星を獲得したウェブデザイナーの市場はあるのだろうか?私が間違っていることを願うが、市場は縮小していると思う。」
記事の最後は「楽しみのため、そして芸術のため。」と締め括られています。
たしかに、ウェブデザインは過渡期を迎えていると思います。これは市場が縮小しているのではなく、求められることが変わってきている気がします。
ウェブサイトが訴求や拡散の役割を担うことは少なくなったと思います。SNSがその役割を担ってきましたが、期待外れだったり、弊害もありました。
これからのウェブサイトは、ブランド、製品、サービスを中心にした、小さくて信頼の置けるコミュニティを形成する役割を担うのかもしれません。
80年代のパルコの広告は広告グラフィックの特異点だったと思います。
企業が発信する「難解」や「アヴァンギャルド」なメッセージがブランディングとして成立していた時代です。
ものすごくかっこいいです。
すでに会期終了していますが、今回の展示を見ると、どの時代も一貫してビジュアルは、明るく、楽天的で、力強く、ポップだったこともよくわかります。
ブランディングとして捉え直すと、また違った見え方になるかも。
AIの登場によって業界が崩壊に向かっているかのようなレポートです。
それでも人間中心であろうとするのは大切なことに思えます。
下記の5つのテーマについて「デザイナーにとっての意味」「チャンスはどこにあるか」「心構え」が書かれています。
01.自動化:AIはあなたを引き上げ、あなたを押し出す
02.飽和:縮小するチーム、縮小する力
03.コモディティ化:ベルトコンベアのデザイン
04.金融化:ユーザーフローからキャッシュフローへ
05.崩壊:ユーザーの信頼は有限な資源
どんな分野でもデザインが重要であることは変わることがないと思いますが、デザイナーの重要性は低くなっていると感じます。デザイナーは供給過多で成果物としてのデザインに新規性が感じられず飽きられているのではないでしょうか?
また、今後AIによって大量生産されるデザインやコンテンツは、価値あるものとしてユーザーに受け入れられるでしょうか?
他人の存在はこれからも私たちの意思決定に重要な役割を果たすことになるでしょう。
使いやすさを提供するだけのUXデザインから、人としての関係や責任を果たせるUXデザインになるのかもしれません。
以下は、いくつか気になった箇所の抜粋です。
「誰でもそこそこ良いデザインを作ることができる。すべてのインターフェイスが同じように見え始めたとしたら、それはデザインツールが設計通りに機能しているからだ。」
「企業は常に、根本的にコモディティ化されたデザインから生まれる予測可能性と安全性を好み、そのためにデザイン・システムに多額の投資をするのです。同時に、デザインプラクティスの自動化は一部のデザイナーを不快にさせることもある。」
「基本的なUIパラダイムが「解決された問題」になりつつあるのなら、私たちは解決すべきもっと深い問題に目を向けるべきだ。」
「私たちは本当に「顧客満足度の向上」を目指しているのか、それとも単に顧客サービスのコストを抑えようとしているだけなのか。ユーザーの利益を最優先に考えているのか、それとも単にビジネスの推進力として共感を利用しているだけなのか。」
「会社の数字を理解し、それをストーリーに活用する。ビジネス用語を学び、プレゼンするデザインと、それがどのようにビジネスを促進するのかを結びつける。しかし、組織における自分の価値を証明するために、決してガス抜きをしてはいけない。勇気を持って、人間として、人間のためにデザインすることを忘れないでください。」
「デザインを決定する際に主にA/Bテストに頼っている企業は、そうした欺瞞的なパターンを最も成功したものとして選ぶことが多いのだ。強制的なペイウォールは、あらゆるコンテンツプラットフォームにとって当たり前であり、一方でサブスクリプションサービスは解約が不必要に困難である。かつては無害と考えられていたソーシャルネットワークは、ヘイトスピーチから陰謀論に至るまで、結果に対する説明責任なしに有害な声を助長する。」
「VRやARのような新しい情報エコシステムや、AIがもたらす製品の津波は、デザイナーに再教育を要求し、他人を傷つけることのない製品決定を下せるよう、常に一歩先を行くことを求めている。準備をする最善の方法は、私たちの周りで起こっている技術的、法律的、社会的な発展について、積極的に情報を得、教育を受ける努力をすることです。」
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60年代〜70年代の名作はエレガントでかっこいいです。
それぞれの作品の年代を追っていくと、その時代に何を仕掛けていたのか少しだけ見えてくる感じでした。
デザイン、ブランド、ビジネスのどの点においても素晴らしいです。
コンセプトの明晰さとバリエーションの豊かさも圧倒的です。
「ファッションは色あせるけれど、スタイルは永遠。 Fashions fade, style is eternal.」
共同創業者のグレッグ・ブロックマンも社長を辞任。
二人にとって突然に告げられた解任だったようです。
「サムと私は、取締役会が今日行ったことにショックを受け、悲しんでいます。」
とXに投稿されているようです。
CTOのミラ・ムラーティが暫定CEOに就任。
出資しているマイクロソフトにも突然のことだったようですが提携は継続するようです。
OpenAIの取締役会はほとんどが部外者で構成されているそうで、
「取締役会とのコミュニケーションにおいて一貫して率直でなく、取締役会の責任を果たす能力に支障をきたしているとの結論に達した。取締役会はもはや、同氏が今後もOpenAIをリードし続ける能力があるとは信じられない」
という発表。
テック企業ではよくあることかもしれませんが、世界的に重要なテクノロジーの行方が取締役会の一方的な決定に左右されるなら、やや心配な気もします。
Sam Altman fired as CEO of OpenAI >>
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毎年恒例のトレンド予測です。今年もおもしろいです。
「人とテクノロジーとビジネスの調和が緊張を見せ、社会が流動化している。5つのトレンドは、顧客に対する執着心の低下、ジェネレーティブAIの影響、創造性の停滞、テクノロジーのメリットと負担のバランス、そして人々の新たなライフゴールを探る。」
と紹介されています。テクノロジーに振り回されながら停滞と危機をやり過ごしていく時代のようです。
以下の5つのトレンドが紹介されています。
1. 愛はどこに?
2. グレート インターフェイス シフト
3. 凡庸
4. エラー429:ヒューマンリクエストの上限に達しました
5. 脱構築の10年
興味深かったのは、AIを情報と認知に対しての新しいインターフェイスと考えているところでした。
このインターフェイスはこれまでの体系や環境を大きく変える可能性があることがわかります。
本当の意味での「セマンティック」とか「ユビキタス」といったコンセプトが実現される気がしました。
また、AIには新しいメディアとしての側面もあるようです。
ブランドは新しい環境に適応できるように自分たちを再定義して、自分たちのデータの準備を進めることになるようです。
クリエイティブは新しいテクノロジーによって陳腐化とテンプレート化が進んで停滞しています。ブランドはもう一度クリエイティブに重点を置いて新たな差別化を図ることになるそうです。
人を疲弊させないテクノロジーについては、Calm Technologyy(穏やかなテクノロジー)を思い出しました。
詳しくはこちら
Accenture Life Trends 2024 >>
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「Calm Technology(穏やかなテクノロジー)」が復活。グッドデザインはそれを定着させることができるのか?
Fjord Trends を引き継いだ Accenture Life Trends 2023
竹内栖鳳の「会場芸術と床間芸術」という文章についての説明があって、いろいろ気付かされるものがありました。
1930年当時、展覧会を強く意識した「会場芸術」を、大作で派手で、不必要なほどの技巧や誇張で「病的現象」と指摘して、「東洋芸術の貴い使命である『静かなる鑑賞』は殆ど閑居されて居る」と言ったそうです。
続けて、日本画が床の間で鑑賞された歴史に触れて、「東洋画はこのような必然的な要求、日本家屋における静かなる鑑賞のためにその生命を生きる絵画」と位置付けていたそうです。
東洋絵画の淡彩、水墨、装飾的で平面的な表現についても「床の間の調和すべき必然の性質のもとに営まれて居る」と分析しているそうです。
「会場芸術」は広く大衆に向けて制作されたもので、目を引くため、評判を獲得するために「病的現象」になりがちであること。一方で「床間芸術」は限られた人に向けて制作されたもので、そ人たちの文脈や状況に寄り添ったある意味でハイコンテクストな作品になるというような解説もありました。
多くの人から一時的に称賛され消費される「会場芸術」の大作を手掛けることよりも、鑑賞者やユーザーの「床の間」の「必然的な要求」の中でハイコンテクストが成立するような作品こそが、NFTやWeb3の時代の鑑賞にふさわしいような気がしてきました。
ベストセラー作家のノーラ・クルーグさんは、戦争が始まってからの1年間、ロシア生まれのウクライナ人ジャーナリスト「Kさん」とサンクトペテルブルク出身のロシア人アーティスト「Dさん」とチャットで連絡を取り続けたそうです。
リンク先の記事には、制作過程の生々しさが綴られています。
イラストレーションの感情面についてとジャーナリズム的な視点が素晴らしいです。
「メディアで戦争について読んだのとは違って、個人の体験談は、紛争の壊滅的な影響を理解するための、より感情的な入口になるかもしれないと理解していました。私はKとDに、それぞれの体験についてインタビューして、対照的な彼らの声を並べたイラスト入りの週刊日記を作れないか尋ねた。2人ともすぐに同意してくれました。・・・彼らの日常的な体験を記録するだけでなく、より深く、より実存的なレベルで、戦争が彼らにどのような影響を与えたかを明らかにするために、私は質問を投げかけました。」
「写真が登場する以前、イラストは社会的、政治的に重要な問題を伝える媒体でした。何世紀もの間、絵やイラストは、良くも悪くも、社会や世界についての考え方に影響を与えてきました。イラストレーターとして、私は自分の職業の遺産には責任が伴うことを理解しています。」
「友人や同僚がロシア兵に拉致されたり殺されたりして打ちひしがれていることを語ったKの顔をアップで見せれば、感情の本当の深さが損なわれてしまうでしょう。だから、主人公の顔を見せないように描きました。また、彼らの感情を伝えるために、表情ではなく、外見や身振りの細部に頼りました。それに加えて、匿名性の問題も考慮しなければなりません。」
Diaries of War: illustrator Nora Krug on depicting raw accounts of the war in Ukraine >>
27年ぶりの大型個展だそうです。
「スプリンクラー」を見れたのが良かったです。
「ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作」は圧巻でした。
巨大なのに軽妙な印象でした。
どの作品も彼自身の手によって描かれていて、その魅力が彼の筆致によるものであることに、あらためて驚かされます。
60年以上の夥しい点数の作品がそうやって描かれてきたこと、それがデジタル上でも続いていくことは、すごいことだと思います。
いつかNFTとかもやってほしいです。
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『二人のカラリストの出会い An Encounter of Two Colorists デイヴィッド・ホックニー|福田平八郎』
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