サーカス・アーティストのヨアン・ブルジョワのパフォーマンス。
2016年のパフォーマンスのようですが、かっこいいです。
パフォーマンスとしても、撮影した映像もいいです。
プロモーション映像やTVCMにもありそうな映像。
舞台が回るというだけで、これほど多様な表現になるのが新鮮でした。
元記事はこちら
Affected by a Central Force, Dancers Perform Implausible Bends on a Perpetually Spinning Stage >>
https://www.thisiscolossal.com/2020/09/yoann-bourgeois-celui-qui-tombe/
素っ気ないくらいシンプルだけど、そういえばそのくらい変わってないなー・・・と思える広告グラフィック。
デバイスの並べ方が共感のもとになってます。
目盛りが単純な線だけなのがいいです。ここに年代とか書き始めると蛇足なことになりそう。
これは広告なので、証拠じゃなくて共感があれば完成されるということ。
なんか、コロナ禍の広告としての、ひとつの形な気もします。
手掛けたのは、Leo Burnett London
バック・トゥ・ザ・フューチャーの他にも、E.T.、 レイダース、トータルリコール、エイリアン、第9地区 なども手掛けていたそうです。
SF映画と言われて思い浮かべるあのイメージは、この人のイマジネーションとドローイングからはじまってるものがたくさんあるようです。すばらしい仕事だと思います。
10代の頃にディズニーのアニメーターとして働き始めて、漫画家、編集者、映画の特殊効果やデザインなど、多岐にわたる仕事をされたようです。
アメリカの活版印刷会社9社によるメモ帳のカバー。
ドキュメンタリー映像も味があります。
その手触りから伝統技術への愛情が伝わってきそうです。
「アメリカの活版印刷の歴史に浮き彫りにされた伝統を継承しながら、レイアウト、テーマ、メッセージは、遺産、地理、伝統、社会問題に関する個人的な表現であり、今日の活版印刷コミュニティの多様性と強さを示しています。」
アメリカのグラフィックデザインや印刷業に草の根で受け継がれていそうな、こういう伝統やコミュニティは素晴らしいと思います。
10数える間に世界中で22人が感染しています。1分後にはその数は300人以上に膨れ上がっています。
データエクスペリエンスデザイナーのJan Willem Tulp さんが開発したそうです。
「特にいくつかの国では、ウイルスがどれだけ急速に広がっているかを人々にもっと知ってもらいたいと思っています。だから、もう少し目に見える形にすることで、人々に緊急性と責任感を持ってもらいたいと思っています」
「absolute」と「per 1000000」で国別の単純な感染者数と各国の1000000人当たりの感染者数で表示切り替えできるのは正しい気がします。
元記事はこちら
Just how fast does COVID-19 spread? This visualization will shock you >>
情報とデザインとインタラクションで力強いストーリーテリングになっています。ホントにうまいです。
冒頭からの縦スクロールに連動して表示される動画で、何が起こったかを詳細にわかりやすく伝えてます。
そのあとに事故の背景になった腐敗や現状を紹介する記事が続いてます。
親しみやすい技術でweb表現としてもよく考えられていて、コンテンツとして素晴らしいです。さすが New York Times という感じです。
How a Massive Bomb Came Together in Beirut’s Port – The New York Times >>
オラファー・エリアソンの展示で見た水面に反射する光の円を作ってみようと思ったのですが・・・なんかちがう。もう少し工夫が必要。
こちらからどうぞ
p5.js Demo >>
たしか、ティボール・カルマンもデザイナーは楽観的でなくてはならいと言っていたと思います。(そうでなければやってられないと言ってたかも)
コロナ禍で社会全体が疲弊するなかでも楽観主義でデザインすることの有効性を紹介している記事です。楽観主義は未来へ繋がっているようです。
以下はいくつかの抜粋です。
「デザインとは、未来を思い描く方法であり、楽観主義はその基礎となる部分です。楽観主義でデザインするということは、より良い未来を創造する可能性を信じることです。・・・・実際、アイデアや信念に挑戦することは、あなたができる最も楽観的なことの一つかもしれません。」
「デザインの中で楽観主義を実践することで、何が可能なのかを広く考えることができ、他の人にも可能性を見てもらうことができます。」
「楽観主義でデザインすることは、結果ではなく、プロセスに具現化された微妙な方法で現れることがあります。」
「楽観主義でデザインすることは、既存の規範に挑戦するときに最も説得力があることが多いのです。」
「・・・彼は私たちに、裁かれるのではないか、愚かだと思われるのではないか、無能だと思われるのではないかという恐怖心を手放すことを強制してくれました。彼は喜びと遊びの精神を生み出し、それによって私たちは実験と反復への楽観主義を持つことができました。大学での最もラディカルで独創的な作品は、この授業から生まれました。」
「私たちは、私たちの現実を、より公平で、より公正で、より持続可能で、より協力的なものにしたいと願っているのかどうかを自問しなければなりません。もしこの問いに「はい」と答えが返せるのなら、私たちは楽観的に未来をデザインしなければなりません。」
いい話です。
元記事には、具体的なプラクティスも紹介されてます。
元記事はこちら
Designing a better future is a moral obligation. Here’s how to start >>
81歳になるカレル・マルテンスが失敗を重ねながらデジタルなデザインプロセスに挑戦した様子をインタビューで答えてます。
「わからない」という状況で、創造的に失敗を重ねることの大切さが伝わってきます。
うまくできることを繰り返すのではなく、失敗のプロセスにこそインスピレーションがあるようです。
また、現在のデザインは「完成しすぎ」で、デザインには「不在(欠けていること)」が大切だとも話しています。
若い頃にこういう先生に教わりたかったです。
以下は抜粋・・・
カレルが1961年にアーネム・アカデミー・オブ・アート・アンド・インダストリアル・アーツでファインアートを学んだ後にキャリアをスタートさせたとき、業界は今日のようなスクリーンベースの分野とは全く異なっていた。当時、彼は8~9ポイントサイズの小さな活字を手描きで描いていました。ボタンを押すと目の前に文字が現れるという今日の技術的なシンプルさとはかけ離れたものでした。
・・・現在のテクノロジーは、Adobeデザイン以前の時代に存在していた制限の多くを消し去ってくれます。しかし、カレル氏にとって、グラフィックデザインは制限から生まれたものであることを忘れてはならない。だから、この新しい時代になっても、アートの基本はほとんど変わっていないのです。
「好奇心は人間にとって非常に重要なものです。棚の上の本を見れば、好奇心が湧いてくるはずです。デザインにおいては、目に見えないもの、不在がとても重要です。でも、デザイナーは、ある食材をセットで提供したり、あるものを暗示したりすることができます。」
ボタンをクリックするだけで簡単に使えるようになった現代では、デザインが「完成しすぎ」と感じることもあるとカレル氏は言います。結局のところ、コンピュータは最初に人間の手によって作られたものを真似しているのです。カレル氏は、この完全すぎるという概念について次のように述べています。「色が多すぎる、形が多すぎる、アイデアが多すぎる。デザインの一部分をある種の躊躇や仄めかしとしておくのは難しいけど重要なことです。」
・・・現代のテクノロジーはデザイナーを「怠け者」にしたと言う人もいるかもしれませんが、一方でカレルにとっては、アナログな方法に戻ることは意味がないと考えています。今あるものには理由があるのです。過去は終わってしまったのです。
「もう誰も作れないような方法で本を作るのは馬鹿げている。それはパッセだし、美しいかもしれないし、繰り返しても美しい。でも、2回目、3回目になったら、新しいことを始めるべきだと思います。」
いい意味で90年代のインターネットの雰囲気を思い出しました。
こんなことができるようになりたいと憧れた作品。
SNS全盛のいまの時代の若者がどのように感じるのか聞いてみたいです。
90年代や00年代のアイデアは、SNSやスマホはの普及で大きく変わったと思ってましたが、何も変わっていないような気もしてきました。
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