カサブランカ、時計仕掛けのオレンジ、スティング、エクソシスト、ダーティハリー・・・
あの有名な映画ポスターをデザインしたグラフィックデザイナーだそうです。
97歳だったそうです。
それはきっと幸せな仕事だったことと思います。
Iconic film poster designer and illustrator Bill Gold has died aged 97 >>
ファッション史にも洋服のパターンメイキングにも詳しくありませんが、とてもおもしろい展示でした。
18世紀〜現在までの消防服、軍服、ジャケットなどを分解して解説して再制作して展示していました。
フランス革命から、世界大戦、現代 まで続く洋服のパターンの変遷を丁寧に解説してくれています。
再現された服を実際に試着できるのはおもしろい体験で、なるほど、着てみれば違いがわかるものです。
再現された18世紀や19世紀のジャケットは、労働着らしく腕を動かしやすくて、キュートなシルエットでとても気に入りました。
展示されていた服の型紙は購入することもできるようです。
こんにちは、月1回執筆している宮坂ネオンです。ゲルハルト・リヒターはフォトペインティング手法をした人として広く知られていますが、フォトグラフ、日本語で「写真」という言葉の語源は古代中国に遡るようです。日本写真史(上)によると、それまで人物をありのままに写生した肖像画を表す言葉として使われていた写真という言葉は、日本に伝わって貴人の肖像画や神仏を描いた絵を指す言葉となっていったようです。[1]
ここでリヒターの話に戻してみて、少し彼を眺めてみましょう。
リヒターは写真論/絵画論の中のペーター・ザーカーとのインタビューの中で「素人写真の中には、セザンヌより美しいものがある」と述べたことをペーターに追求されています。[2]
この真意について、リヒターは「方法としての意味と、アカデミーへの対抗という意味があった」と述べました。
ではリヒターはフォトペインティングを1960年代から勢力的に作っている事をもう少し多面からみてやると、かつてのアカデミズム主義が邪道だとしてきたことを、あえてやったという解釈になるでしょうが、しかし着目すべきはその事実そのものではなく、技法にあるのかもしれません。絵画(ここで指すのは主に油彩のこと)、絵画は層で構築されている1つの画面であって、またそうではないということは多くの画家によって感じられることでしょう。言い換えれば作家の血や汗、精神をえぐって作られたことがマジックミラーのように第三者に伝わる、悪く言えば伝わってしまうような薬にも毒にもなる恐ろしい画面でもあります。
リヒターが批判を見越してフォトペインティングを行ったのであればなおの事、それが美徳とは言えないものでも、リヒターからは強い技法に込めた熱意がうかがえる話です。
余談ですがフォトペインティングとはまた別の話で、フォトモンタージュという技法があるようです。日本でも、フォトモンタージュ作品を制作した美術家(写真家)は、戦前では、中山岩太、小石清、平井輝七、花和銀吾、坂田稔、山本悍右、高橋渡、大久保好六、古川成俊、瑛九、永田一脩など、戦後では、木村恒久(作品例:1979年「都市はさわやかな朝をむかえる」(のち、パイオニアの広告でも使用された)、1980年「ツィゴイネルワイゼン」)、カズキヒロなどがいるとウィキペディアには書かれています。
目を光らせる価値のある技法だと思いますが、日本ではまだフォトモンタージュの展示は少ないようです。[3]
Neons /Photomontage 2018 Miyasaka Neon
Neons /Photomontage 2018 Miyasaka Neon
お知らせ
来月からは仕事の関係で不定期になるかもしれませんが、これからも大切な美術の視座を伝えられるように続けていかれるように精進致します。
[出典]
[1]日本写真史(上) / 鳥原学 著 2013年 中公新書
[2]写真論/絵画論 / ゲルハルト・リヒター 1996年 淡交社
[3]フォトモンタージュ / Wikipedia
[4]フォトモンタージュとは / ぱくたそ
https://www.pakutaso.com/whatphotomontage.html
[参考データ]
ヴァーチャル絵画館
http://art.pro.tok2.com/L/Lists/Useage.htm
ニューヨーク育ちのミルトン・グレイサーが自らの生い立ちとニューヨークへの愛着、誰もが知るあのロゴの誕生について語っています。
あのロゴはタクシーの中で考えついたようです。
英語なのでちゃんと理解できてないかもですが・・・
「だれもが『ニューヨークを愛してる』『ここが故郷だ』『私はここに残る』と言いたい気持ちだったんだ。」と話していて、それがこのロゴが成功した理由だったようです。
とてもいい話をしているようで、日本語字幕がほしいです。
SLANTEDでは世界の各都市で長期取材して、グラフィックやビジュアル分野のクリエイティブを紹介した本を出版しているようです。
2017年に東京でかなり大勢のデザイナーに取材したようです。
英語なので読むのは難しそうですが、読み応えありそう。
他の都市の本もおもしろそうなので、日本語になってくれたらありがたいです。
広告界の重鎮ジョージ・ロイスは、MoMAに収蔵されるようなエスクワイア誌の表紙やMTV初期のキャンペーン「I want my MTV」を手掛けた人。その彼が今日のブランディングや広告業界の若手にアドバイスしてくれているようです。
翻訳が間違ってるかもしれませんが、いくつか引用・・・
「私はデザインを見せるようなことは決してしてこなかった。私は単純明快なアイデアを見せたんだ。」
「私はデザインについて話したりしない。アイデアの話をしたんだ。」
「私は優れたアイデアを生み出したりしない。プロダクトとマーケットと競合を理解すればそこにアイデアがある。それを実行すればいいんだ。」
「今日の代理店の若い才能ある人たちに、上司から離れて話を聞けば、どれほど惨めな仕事をしているかを泣いて訴えるだろう。」
「私は若手には広告業界で誰もがやっているようなことはしないように教えようとしています。・・・自分の本能に従ってアイデアを考えれば、ビジネスを救い、新しいブランドを生み出すことができるでしょう。」
「若い人たちがパソコンで何かをしているので「何をしているんだ?」と聞くと「調べています。」と答えます。それではダメです。自分自身と働いてください。あなた自身の才能で大きなアイデアを思いついてください。自分の脳を使ってください。」
「広告業界ではデザイナーを含めた大きなグループで仕事を進めますが、これがあまり機能しません。わたしはこれを「グループ酔い」と呼んでいます。まず、あなたは自分の才能を持たなくてはなりません。」
惰性と慣習のグループ・ワークよりも個々の才能や創造性を活かすべきだと話しているようです。
まったく古いタイプの広告マンとも言えるでしょうが、これからの未来ではまた大切なことなのかも。
この春から広告業界のデザイナーになった人の励ましになれば。
元記事はこちら
Ad Legend George Lois: Magazine Covers Are “Trash Today” >>
BE BEST は子供たちの社会的、感情的、身体的健康ためのキャンペーンだそうです。
キャンペーンの理念は素晴らしくても、ロゴデザインとしてはヒドいものと言わざるを得ないでしょう。
子供コトバで子供が描いたようにデザインしたのだとしても「可愛らしさ」や「自由奔放さ」は見てとれないです。
なにかアドバイスする人とか、いなかったんでしょうか。
まったく誤解かもしれませんが、タイポグラフィの起源のようなものを見た気がしました。
文字を石に刻むときに端が余計に欠けないようにする工夫からセリフなどの要素が誕生したと何かで読んだ気がしますが、本当にそうかもと思えました。
イスラム文化ということもあるのでしょうが、交易が盛んだったのにローマの影響以外では「写実」というものが発達しなかったようなのが興味深いです。西洋美術の「キアロスクーロ」がない感じ。
乾いた砂漠の日差しの下ではすべてがハイコントラストなのでしょうか。
価格はほとんど3億円以上。
しかも同じアーティストの作品が多数。
リチャード・プリンス
アンドレアス・グルスキー
シンディ・シャーマン
の3人で15点中12点。なんかすごい。
トーマス・ルフ も入っていていい気がするけど、ちょっと違うのかな。
The 15 Most Expensive Photographs Ever Sold >>
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アンドレアス・グルスキー展 >>
ほのぼのとしたディストピアという感じで、どこか90年代的な印象でした。
最近のfacebookで起きていることや、Googleの寡占状態などはもっと速く大量で不可視なディストピアなのかもしれない気もしましたが、アートとしてのこの展示は楽しかったです。
メディアアートのようなテクノロジーに熟達したアーティストによる作品ではテクノロジーを積極的に受け入れて賛美する傾向があるのかも。文脈にもよりますが、テクノロジーを批判する作品があることは健全な気もしました。
ビットコインとブロックチェーンのもたらす社会変革についての作品は、10年後にもう一度見たらどんな印象になってるか楽しみです。
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