『デザインにおける失われた世代』

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だいぶまえの記事ですが、読み応えあっておもしろいです。
アメリカのデザイン会社経営者による記事ですが、シリコンバレーからはじまった新世代のデザイナーを「失われた世代」としてUX/UIデザインの社会的責任やデザイナーの資質・役割・環境について指摘してるようです。

以下はいくつか意訳と抜粋で・・・(間違ってるかもしれません。)

「・・・私たちの世代はヒッピーに育てられて、欲望に消費されて、市場原理に支配されてきました。・・・(クライアントに対して) ”なぜ” と ”No” という言葉を使うことによって、デザイナーとしての倫理的な枠組みを構築してきました。」

「デザイナーは ”ゲートキーパー” のように、門を通って世の中に出て行く製品・サービスについての倫理的な監視役でした。」

「いまの世代のデザイナーは、より速く、より速く作業する方法を学ぶためにキャリアを費やしました。 確かにスピードは大切ですが、過剰なスピードは目的をぼかす傾向があります。 ・・・スピードと並んで、スケールの麻薬にも対処しなければならなりません。」

「私たちは、私たちを最も必要とする人々(ユーザー)を危険にさらしています。そのことにデザイン業界は責任を負おうとしていません。 この状況に ”なぜ” と ”No” という言葉を使わなくてはならないのでは?」

「”正しいことをしたいが、仕事を失うことになるだろう” という反論がよくあります。・・・倫理的枠組みは、賃金水準とは独立している必要があります。・・・仕事を失うことに対する恐怖はあなたが疑問を投げかけて挑戦すべきことに取り組む可能性を低くします。 これでは仕事をしていないのと同じことです。・・・デザイナーの失われた世代は、それを正しくすることを望んでいません。 彼らは自分たちをゲートキーパーではなく、ベルボーイだと決めたのです 。」

「私たちは危険なソフトウェアが、どのように危険なのか理解しはじめています。・・・私たちは責任を負う必要があります。私たちは速く動いて物事を壊してきました。目的に沿って壊したときもあれば、無知だったために壊したこともあります。どちらも同じことです。・・・スピードを落として、考えるべきときに来ています。私たちが壊しているものは、あまりにも重要で貴重です。その多くは置き換えできないものです。」

「労働者のために立ち上がる唯一の人は他の労働者です。・・・正しいことに取り組もうとしているデザイナーが可能性を失わないために、これからの若い世代のデザイナーには職能だけでなく組合が必要です。」

「なぜデザイン教育を美術教育の一環としているのか?・・・既存のデザイン教育プログラムがとても重要なことに変わりはありませんが、現代のデザインはあまりにも重要で、あまりに広範囲になっています。」

「(デザインに公的なライセンスがあるとしたら) 規制当局が、デザイナーは無謀で自分自身を規制することができないと判断したときに設定されるでしょう。これはデザイナーのためではありません。ユーザーのためです。私たちはあまりに速く動いて、あまりにも多くのことを壊しました。アマチュアの時間は終わります。」

プロフェッショナルというのはどういうことかを考えさせられる記事でした。

元記事はこちら
Design’s Lost Generation >>

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2018年9月2日 デザイン