こんにちは、月1回執筆している宮坂ネオンです。ゲルハルト・リヒターはフォトペインティング手法をした人として広く知られていますが、フォトグラフ、日本語で「写真」という言葉の語源は古代中国に遡るようです。日本写真史(上)によると、それまで人物をありのままに写生した肖像画を表す言葉として使われていた写真という言葉は、日本に伝わって貴人の肖像画や神仏を描いた絵を指す言葉となっていったようです。[1]
ここでリヒターの話に戻してみて、少し彼を眺めてみましょう。
リヒターは写真論/絵画論の中のペーター・ザーカーとのインタビューの中で「素人写真の中には、セザンヌより美しいものがある」と述べたことをペーターに追求されています。[2]
この真意について、リヒターは「方法としての意味と、アカデミーへの対抗という意味があった」と述べました。
ではリヒターはフォトペインティングを1960年代から勢力的に作っている事をもう少し多面からみてやると、かつてのアカデミズム主義が邪道だとしてきたことを、あえてやったという解釈になるでしょうが、しかし着目すべきはその事実そのものではなく、技法にあるのかもしれません。絵画(ここで指すのは主に油彩のこと)、絵画は層で構築されている1つの画面であって、またそうではないということは多くの画家によって感じられることでしょう。言い換えれば作家の血や汗、精神をえぐって作られたことがマジックミラーのように第三者に伝わる、悪く言えば伝わってしまうような薬にも毒にもなる恐ろしい画面でもあります。
リヒターが批判を見越してフォトペインティングを行ったのであればなおの事、それが美徳とは言えないものでも、リヒターからは強い技法に込めた熱意がうかがえる話です。
余談ですがフォトペインティングとはまた別の話で、フォトモンタージュという技法があるようです。日本でも、フォトモンタージュ作品を制作した美術家(写真家)は、戦前では、中山岩太、小石清、平井輝七、花和銀吾、坂田稔、山本悍右、高橋渡、大久保好六、古川成俊、瑛九、永田一脩など、戦後では、木村恒久(作品例:1979年「都市はさわやかな朝をむかえる」(のち、パイオニアの広告でも使用された)、1980年「ツィゴイネルワイゼン」)、カズキヒロなどがいるとウィキペディアには書かれています。
目を光らせる価値のある技法だと思いますが、日本ではまだフォトモンタージュの展示は少ないようです。[3]
Neons /Photomontage 2018 Miyasaka Neon
Neons /Photomontage 2018 Miyasaka Neon
お知らせ
来月からは仕事の関係で不定期になるかもしれませんが、これからも大切な美術の視座を伝えられるように続けていかれるように精進致します。
[出典]
[1]日本写真史(上) / 鳥原学 著 2013年 中公新書
[2]写真論/絵画論 / ゲルハルト・リヒター 1996年 淡交社
[3]フォトモンタージュ / Wikipedia
[4]フォトモンタージュとは / ぱくたそ
https://www.pakutaso.com/whatphotomontage.html
[参考データ]
ヴァーチャル絵画館
http://art.pro.tok2.com/L/Lists/Useage.htm
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