BMW 8 X JEFF KOONS

BMW 8 X JEFF KOONS

1台のBMW 8 グランクーペにペイントしただけではなく、99台限定で米国で350,000ドルで販売されるようです。
ポップアートっぽいペイントワークに、シートはスーパーヒーローっぽいカラーリングになってます。

jeff koons pops limited edition BMW ’dream car’ at frieze los angeles 2022 >>

2022年2月28日 アート

民主的探求としてのデザイン

デザイナーとクライアントの間の食い違いや、デザインの先生と生徒の関係についても、おもしろい示唆を含んだいる気がしました。
「民主的なデザインをする」または「民主的なプロセスでデザインする」ということではなく、「民主主義のためにデザインを使う」という考え方のようです。この本も日本語で読みたいです。

デザイナーであり教育者でもあるカール・ディサルヴォの新著『Design as Democratic Enquiry』では、民主主義社会においてデザインが果たすべき役割について書かれているそうです。

ディサルヴォが過去15年間勤務してきたジョージア工科大学周辺の地域コミュニティで行われた一連の実験からデザイナーが言うところの「植民地的」なものから脱却を促進することを目指してるそうです。

この実験のデザインプロセスは、他の多くのデザインプロジェクトとは明らかに異なっていて、
「一つの固定された最終的な製品に向かって作業するという前提がなかった。」
「それと同じように、民主主義は、具体的な終着点のない、厄介な概念なのです」
とのことです。

ディサルヴォは、問題解決は多くのデザイナーの根底にある欲求であると認めています。しかし、最終的な結論が決まっていると思い込んでいると「デザインは英雄的な行為とみなされる」のだそうです。
(とてもわかる気がします。これはデザイナーの自意識についての問題にも思えます。)

「この地域やその他多くのコミュニティにおける資金不足の問題は、何十年にもわたる体系的な人種差別に起因するものであり、アプリで解決できるものではありません。」
「しかし、すべての状況をデザインで解決できないからといって、デザインが助けにならないわけではありません。」

ディサルヴォ「普遍的な方法としてのデザイン」という考えはくだらないと言ってるそうです。
「人々は普遍的なデザイン手法という考え方を好みますが、それはどこに行っても権威を主張することができるからです」
と言っています。。

「デザインは、市場との関係、販売できる製品・サービス、成果をいかに生み出すことができるかということで、自らを定義しています。」

「デザインを民主主義と一緒に使うことは、必ずしもすべてが解決するような気持ちの良い瞬間を生み出すわけではありません。」

「失望があることを認識し、時には成功は単に耐えることであるというアプローチでデザインする方法を、人々に問い始めてもらいたいのです。」

この著書の目的は、デザインジャスティスをめぐる会話に貢献することだそうです。
「そうすれば、民主主義の中で何が本当に可能なのかを探ることができると思うのです。」

Design as Democratic Inquiry: “Design isn’t the universal tool we think it is” >>

シカゴを拠点とするアーティスト周雨歌の作品。
描かれる円形は「月」を象徴しているそうです。

中国の漢詩では「望郷」は「月」をモチーフにして描かれます。
周雨歌はコロナ禍で北京の家族に会いに行けない状況が続いているそうです。
これらの作品は「待ち時間の祈り」なのだそうです。

美しい儀式。

YUGE ZHOU >>

Ritualistic ‘Moon Drawings’ by Yuge Zhou Etch Patterns in Snow and Sand >>

2022年2月21日 アート

『資本主義後のデザイン』

3月に出版される本だそうです。おもしろそうです。ぜひとも日本語で出版してほしいです。

以下は紹介文の日本語訳です。

私たちが日常生活を認識し、理解し、実行するために用いているデザインされた物、経験、シンボルは、単なる小道具以上のものです。それらは、私たちの生き方を直接的に形成している。マシュー・ウィジンスキーは、『Design after Capitalism』の中で、モダンデザインを生み出した産業資本主義の世界が劇的に変化していることを論じている。今日のデザインは、日常的な政治、社会関係、経済の意図的な変遷に向けて方向転換する必要があります。ウィジンスキーは、デザインを政治経済学のレンズを通して見ることにより、この分野が資本主義の論理、構造、主観を超越し、日常生活を構成する物、象徴、経験を生み出す新しい方法を促進するために、デザイン起業家精神を社会的エンパワーメントと結びつけることを求めています。

資本主義とデザインの並行する歴史を分析した後、ウィジンスキーはデザイン実践の反資本主義、非資本主義、ポスト資本主義モデルの歴史的事例をいくつか挙げています。これらの例は、19世紀のイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動から、家具やバイオテキスタイルの栽培、生産の自動化といった現代の実践に至るまで、多岐にわたっています。社会学、哲学、経済学、政治学、歴史学、環境・持続可能性学、批評理論など、通常デザインの中心とは見なされない分野からの洞察をもとに、ポスト資本主義デザインの基本原則を示し、これらの原則をプロジェクト、実践、規律の3層に適用する戦略を提供し、デザイナーが出発点として使用できる一連の実用ガイドラインを提供しています。資本主義の終焉を待つ必要はありません。ポスト資本主義デザインは今日から始められるのです。

マシュー・ウィジンスキーは、コモンズを育て、協力と交換のためのツールを作ることによって、資本主義を内側から侵食する方法をデザイナーに示しています。とりわけデザイナーは、包装や廃棄物から、クリエイティブ層の拡大し続ける労働時間まで、あらゆるものを縮小する手助けをすることができます。

Design after Capitalism Transforming Design Today for an Equitable Tomorrow

2022年2月17日

外見はお馴染みのピカピカのアルミ製トレーラー。
中身は旧来のトレーラーではありません。バッテリーを搭載した電気自動車です。
eStream単体で道路を走ることはできません。他のトレーラーと同じように牽引する必要があります。
しかし、iPadを使えば、クルマがなくてもeStreamをちょうどいい場所に簡単に動かすことができます。
フル充電すると、1週間から2週間程度はエアコンや暖房を含むすべてのシステムを稼働させたまま過ごせるらしいです。
オフグリッドでの旅の手軽さと快適さを両立。
でも、製品化はまだ数年先だそうです。

とても贅沢ですが、よくできた商品企画のような気がします。
なによりたのしそうです。これでリモートワークしたいです。

ボブ・ギルの何がそんなに素晴らしいのか_01

ボブ・ギルの何がそんなに素晴らしいのか_02

ボブ・ギルの何がそんなに素晴らしいのか_03

読んだことがないのですが『グラフィックデザインについて学んだルールはすべて忘れなさい -この本に書かれていることも含めて-』というボブ・ギルの著者があるそうです。
デザイン上の問題点を再定義し、独自の主張をすることが、独自の解決策につながるというのが彼の考え方だったそうです。
そういう彼のフィロソフィーについて紹介されています。
現代においても重要な考え方のように思えます。

「彼にとっては、アイデア(ソリューション)こそがデザインであり、常に第一の王者であった。・・・スタイルやテクニック、美的センスなどというものは、単に邪魔なもの、あるいは関係ないものだったのです。彼の第一の目標は、常にコミュニケーションの完全な明瞭性でした。」

「ギルにとって、どんなソリューションも、クライアントがそのアイデアを見ることなく、電話で説明できる能力があるかどうかが決定的なテストでした。」

「ギルの作品は、デザイナーには2種類あることを教えてくれました。美的感覚、つまりデザインはこうあるべきという考えに基づいてデザインするデザイナーと、視覚的なアイデアの独創性によって人々を立ち止まらせ、考えさせるデザイナーです。」

「彼のソリューションには、売り込みも説明も必要ない。彼の名前と同じように、彼の創造的な解決策は短く、簡潔で明快であった。若い美大生は、彼のそばにいて、彼がどんなデザイナーとどんなテーマで話しているのかを聞くだけで、多くのことを学ぶことができた。問題解決に対する冷酷なまでの評価で、彼はパンチを惜しまず、決して世間話をするような人ではなかった」

「デザインの流行や大衆文化の影響を嫌い、それを独創的な発想の障害とみなすギルは、反骨精神にあふれ、妥協を許さないデザイン革命家であった。デザイン思考を「皇帝の新しい服」のような装飾的なものにすることは、彼にとっては思考ですらないのだ。」

「2014年にBBCラジオのインタビューのためにギルと連絡を取ったが、彼の礼儀正しくも厳格に正確な物腰は、高齢になってもまったく衰えていない高度に調整された客観的な思考を映し出していた。数十年経った今でも、彼は相変わらず、自分のデザインに対する特異なビジョンを毅然とした態度で提唱していることがよくわかった。」

インターネット後のコミュニケーションに関するデザインの分野においては、こういう考え方が影を潜めつつあり、同じプラットフォームを利用したアレンジ違いでデザインするようになっているかもしれません。

What Made Bob Gill So Brilliant? >>

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イラストレーターでデザイナーのボブ・ギルが死去 >>

OpenWebはパブリッシャー(出版社)向けのプラットフォームだそうです。
出版社のサイトのコメント欄は、かつては共通の興味や関心に基づいた議論がされてコミュニティが形成されていましたが、その舞台はソーシャルメディアに移り、横行する「荒らし」によって機能しなくなりました。
これは出版社のビジネスだけの問題ではなく、教育や認識を歪める有害なコミュニケーションとして社会的/文化的な問題となっています。

そこでOpenWebは、オンライン上での「会話」を健全なものにするためのプラットフォームを提供するそうです。
出版社のウェブサイトの「コメント」セクションを再構築することで、ユーザーをソーシャルメディアプラットフォームに奪われることなく、出版社が会話をホストすることを可能にする。
ユーザーを登録ユーザーに変え、出版社に持続的な収益をもたらし、重要な広告収入がソーシャルメディアの独占企業に流れるのを防ぐ。
という狙いのプラットフォームになってるそうです。

ネット上のポジティブな会話がもたらす波及効果によって、社会全体に利益をもたらすかもしれません。
すばらしいチャレンジだと思います。

このOpenWebのアイデンティティを、ブランディング会社のCOLLINSが手掛けているそうです。
このブランディングに必要なことは・・・
「OpenWebは信頼できる価値あるパートナーとして理解される必要がある」
「OpenWebは出版社の成功に深く関わる企業として認識される必要がある」
と定義して、そのアイデンティティは「重厚さ」「緊急性」「理想主義」を込めてデザインされているそうです。(なるほど、上手いです。)

シンボルはOpenWebの象徴であり、オンラインでの会話の質を向上させるという使命を表しています。
異なる見解の中に存在しうる交流、啓発、調和をイメージさせるデザインになっています。

文字によるコミュニケーションを中核とする企業であり出版社のパートナーとしてのイメージを持たせるために、20世紀初頭の新聞見出しのタイポグラフィのスタイルを借用しているそうです。
そのタイポグラフィで届けられるメッセージも、信頼感を持ちながらも挑発的な、20世紀の新聞記事のイメージになってるようです。

COLINSはOpenWebのUIやダッシュボードのデザインも手掛けているようです。
(ブランディング会社って、そういうデザインも手掛けるようになったんですね。)

OpenWebのブランディングについてくわしくはこちら >>

OpenWeb >>

COLLINS >>

Collins looks to eliminate online trolls with a new identity for OpenWeb >>

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広告会社「オグルヴィ&メイサー」が「オグルヴィ」に社名変更して新しいアイデンティティとロゴを発表 >>

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム_1

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム_2

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム_3

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム_4

たしかに、シュルレアリスムと奇抜なファッションは相性がいいです。
「身体」というテーマが古代からずっとアートの重要なテーマであり続けている理由がわかる気がします。
コスプレとかアバターとかも身体とイメージの融合だとしたら、服は奇抜であるべきだとも思えてきます。

服、靴、手袋、どれも工芸的な完成度で見応えありました。
毛皮のコーヒーカップで有名なメレット・オッペンハイムの血管が刺繍された手袋が印象的でした。

ひさしぶりに東京都庭園美術館に行きました。
新館ができていましたが、以前からあった松の木が残されていて、以前と同じように大きな松ぼっくりが落ちているのが良かったです。いつかあれを拾いたい。

東京都庭園美術館 | 奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム >>

2022年2月3日 アート

80年代が帰ってきた、ベイビー

上の画像はどれも2021年の広告です。海外の広告グラフィックでは80年代のようなデザインがトレンドだそうです。
それもかなり本気で80年代のデザインになってるようです。
フォント、カラーだけでなく、VHSやエアブラシのような質感、さらには、広告表現としてのテーマや描かれるライフスタイルまで80年代になってるようです。

以下は抜粋です。

機能的な面では、2022年には洗練されたミニマルデザインは完全に過去のものとなっていることは言うまでもありません(これはデザイン誌ですから)。だから、80年代の美学への揺り戻しは、典型的な「20年トレンドサイクル」の一部であり、デザインに対しても、より最大主義的で意図的に不正確なアプローチに戻るのは、間違いなく自然なことなのだ。

パンデミックから2年が経ち、孤立した生活の倦怠感が、いつの間にか私たちを耽溺へと導いたようだ。エゴは消え、イドが入り、世界が燃えている間でも、タバコを吸い、好きなことをやっている。Chandelier Creativeのチーフ・クリエイティブ・ディレクター、マイケル・スカンロンが言うように。「Instagramを見る限り、40歳以下の誰もが霊芝スムージーをやめて、キャビアとマティーニを飲んでいるようです。なぜでしょう?外は暗く、私たちは皆、生きていると実感できるような喜びと機知をもう少し欲しているのです」。

しかし、80年代のデザインは確かに反響を呼んでいるが、この復活を後押ししているのは、コンデンスセリフへの愛着というよりも、むしろコンセプトとしてのノスタルジーであるようだ。デザイナーのStefanie Brücklerは、COVID-19や気候変動といった世界的な危機に対応するために、社会が80年代や90年代初期の「より良い時代」への憧れを抱いているのではないかと考えています。

現在27歳から42歳のミレニアル世代は、この80年代のエディトリアルな美学を現代のブランディングやキャンペーンに活用するクリエイティブチームの舵取りをしているのでしょう。これらの時代を直接体験していないZ世代にとっては、これらの時代(とそれに関連する美学)は、携帯電話もリモート教育もない、よりシンプルな時代として、深いロマンを抱いているのである。

ブランド戦略の観点からは、80年代のエディトリアルな広告は、ソーシャルメディアの「映え」において歓迎すべき変化であると感じることもある。このようなエディトリアル・コピー主体のレイアウトは、ウインクして商品を勧めるのではなく、「これこそ完璧だ、あなたも手に入れられる」という大文字の広告なのです。誰もがより良い生活を求めている今、私たちはブランドがそれを手に入れる方法を教えてくれることを望んでいるのかもしれません。

少し悲しい世界観ですが、おもしろい洞察です。
個人的な感想ですが・・・日本の広告表現は80年代からそれほどアップデートされてこなかったような気もしてます。

The ’80s Are Back, Baby >>
https://eyeondesign.aiga.org/the-80s-are-back-baby/